現在進行中の事件などに関しては、本家およびはてなブックマークをご参照ください。

2009年05月02日

【写真】2組目36点目(既出の写真)

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" を見ていきます。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

見出しに「2組目」と書いてあるエントリでは、本館での2番目の紹介記事で言及したものを扱っています。

なお、以下に貼り付けるURLは既に変更になっています(写真が差し替わっています)。このため、参照すべき写真をサムネイルのサイズにし、どういう写真なのかがわかる程度にした状態で添付しますので、それを参考に上記URLから探してください。




35-diviss-200.jpg

ここらへんでアルバムがごたついていて、32点目で既出の写真がまた出てきます(バリケードと英軍兵士とディヴィス・ストリートの男性)。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=36

※この写真についての簡単な解説は:
http://nofrills-nifaq.seesaa.net/article/118588566.html


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【写真】2組目35点目、暴動の後@1969年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" を見ていきます。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

見出しに「2組目」と書いてあるエントリでは、本館での2番目の紹介記事で言及したものを扱っています。

なお、以下に貼り付けるURLは既に変更になっています(写真が差し替わっています)。このため、参照すべき写真をサムネイルのサイズにし、どういう写真なのかがわかる程度にした状態で添付しますので、それを参考に上記URLから探してください。




34-move-200.jpg

「1969年の暴動のときに、家から逃げ出すある家族」というキャプションがついています。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=35

「北アイルランド紛争」が始まってから、こういう光景があちこちで見られたそうです。アイルランド共和国のメアリー・マカリース大統領も、こういうふうにしてベルファストから共和国に引っ越していった家の子。そして逃れていった先の共和国では「北」の者に対する目はあまりあたたかくなかった、という話も読んだことがあります。「なんであんなふうになっちゃってるの?」という素朴な疑問が、「何か受け入れがたいもの(心理的に)」という距離感につながっていた、とか。

一方で、熱心なリパブリカンは南にいようが北の「同志」への愛は惜しみなく。LoughallでSASに射殺されたIRAメンバーのひとりはダブリンの人で、そのご家族の回想を読んだばかりです、数日前に。
タグ:写真 資料 1969
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【写真】2組目34点目、「紛争」のずっと前の暴動@1962年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" を見ていきます。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

見出しに「2組目」と書いてあるエントリでは、本館での2番目の紹介記事で言及したものを扱っています。

なお、以下に貼り付けるURLは既に変更になっています(写真が差し替わっています)。このため、参照すべき写真をサムネイルのサイズにし、どういう写真なのかがわかる程度にした状態で添付しますので、それを参考に上記URLから探してください。




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道路が封鎖され車が燃えています。キャプションによると「1962年のベルファストの暴動」だそうですが、何も説明がないので、ひどい状態になっているということしかわかりません。「ユニオニスト」なのか「ナショナリスト」なのかもわかりません。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=34

1962年だとProvisional IRAはまだ存在していないし(PIRAは1969年のIRAの分裂で成立した組織)、それゆえ「北アイルランド紛争」に含まれるのかどうかも微妙だと思うのですが、Provisionalsの分裂前のIRAの「ボーダー・キャンペーン」が1956年から1962年2月まで行なわれていたので、それと何か関係がある写真なのかもしれません。(ユニオニストの側の「反IRA」のキャンペーンの可能性とか。)

「ボーダー・キャンペーン」については詳細は別の機会に譲りますが(どの機会だかわかんないけど)、ベルファストでは目立った活動はなかったはずです。

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【写真】2組目33点目、ブラッディ・フライデー後@1972年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" を見ていきます。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

見出しに「2組目」と書いてあるエントリでは、本館での2番目の紹介記事で言及したものを扱っています。

なお、以下に貼り付けるURLは既に変更になっています(写真が差し替わっています)。このため、参照すべき写真をサムネイルのサイズにし、どういう写真なのかがわかる程度にした状態で添付しますので、それを参考に上記URLから探してください。




32-bloodyfr-200.jpg

ブラディ・フライデーの事件現場(プロテスタントの一般市民と英兵が亡くなったOxford St Bus Station)での追悼行事か何かの様子です。キャプションにはほとんど説明がないのですが、この写真は「読む」ことのできる写真です。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=33
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【写真】2組目32点目、ナショナリストと英軍の蜜月@1969年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" を見ていきます。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

見出しに「2組目」と書いてあるエントリでは、本館での2番目の紹介記事で言及したものを扱っています。

なお、以下に貼り付けるURLは既に変更になっています(写真が差し替わっています)。このため、参照すべき写真をサムネイルのサイズにし、どういう写真なのかがわかる程度にした状態で添付しますので、それを参考に上記URLから探してください。




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「ベルファストのディヴィス・ストリートで、バリケードごしに兵士たちに話しかける男性。1969年8月16日」。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=32

デリーでの「ボグサイドの戦い」が8月12日、デリーやベルファストへの英軍の派遣が14日です。
http://cain.ulst.ac.uk/othelem/chron/ch69.htm#Aug

このときは、「ナショナリスト・コミュニティ」対「ユニオニスト・コミュニティ&自治政府」の暴力の仲裁役として、外部の者として英軍が投入された段階で、ナショナリスト・コミュニティから英軍への敵意はほとんどありませんでした。バリケードは、ユニオニストの暴力からナショナリストを守るものでした。女性たちはパトロールの英軍兵士にお茶とお菓子を振る舞いました。(以前本館で書いていると思います。)

この点をちゃんと見てください。ナショナリストは、最初っから英軍を「敵」と見なしていたわけではありません。

この後に、ナショナリストの中でも「英軍は敵」と見なす思想を有する勢力(つまり「リパブリカン・ムーヴメント」)が「支持」を集めたのは、英軍がそもそも「中立の仲裁者」などではなく、ユニオニスト&自治政府側だった、ということが彼らの目にはっきり見えたからです。ここで、「植民地支配からの脱却」という思想が絡んでくる。うちらでもよく知っているような「IRAのプロパガンダ」(とユニオニスト側が呼ぶもの)が――つまり「何世紀にも及ぶ支配と搾取」という例のあれが多くの「支持」を集めたのは、その「プロパガンダ」に説得力があったからです。それ以前に、「プロパガンダ」と呼ばれていたものの多くの部分が単に「歴史的事実」だったということも極めて重要ですが。(実際に、「アイルランド人」は小作農として搾取されていた。英国は「カトリック」の権利を制限する法律を有し、19世紀までそれを撤廃しなかった。北アイルランドでは「カトリック」に対する差別的待遇は20世紀にも続いていた。……などなど。しかしこの点については、アイルランド共和国、特にエイモン・デヴァレラのスタンスも見る必要があります。)

なお、北アイルランド紛争の時期を通じて、ナショナリスト側の最大政党だったのは、シン・フェイン(「リパブリカン・ムーヴメント」)ではなくSDLPだった、という事実は、見過ごされていますが、非常に重要です。
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【写真】2組目31点目、These Riots Were Just the Beginning@1969年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" を見ていきます。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

見出しに「2組目」と書いてあるエントリでは、本館での2番目の紹介記事で言及したものを扱っています。

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燃やされたバスと、有刺鉄線のバリケードと、英兵と、たぶん一般市民。詳細はわかりません。キャプションにも「ベルファストでの暴動、1969年」とあるだけです。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=31

1969年は、8月12日の「ボグサイドの戦い」の前、公民権デモに対する当時の自治政府のあまりの強硬姿勢から緊張が高まり、デリーやベルファストでは何件もの暴動が起きています。
http://cain.ulst.ac.uk/othelem/chron/ch69.htm

※このエントリのタイトルは、ベルファストのバンド、And So I Watch You From Afarの曲名からとりました。
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【写真】2組目30点目、ブラッディ・フライデー@1972年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" を見ていきます。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

見出しに「2組目」と書いてあるエントリでは、本館での2番目の紹介記事で言及したものを扱っています。

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30点目は1972年7月21日、ブラディ・フライデーの写真です。この日、午後2時10分から3時15分までの間に、ベルファスト市内15箇所でカーボム&ボムが連続して爆発しました。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=30

キャプションは「IRAがベルファストで26の爆発を起こし、11人を死亡させ、130人を負傷させた。死者のうち7人はオクスフォード・ストリートのバスターミナルで、4人はケイヴヒル・ロードのショッピングセンターで被害にあった」……えー、死者数がおかしい。9人のはず。BBCでもnine people were dead and some 130 more were mutilated, injured and mentally scarredとなっている。

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【写真】2組目29点目、サンディ・ロー、UDA@1972年

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29点目。これもUDAです。一度にこんなに大量にUDAの70年代の写真を見たことは、私はありません。(^^;)
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=29

「1972年、サンディ・ローのリスバーン・ロード側のバリケードで、覆面をしたUDAメンバーによって所持品検査を受ける男性」で、道路はバスか何かで封鎖されています。一番左のUDAメンバーのひとりが、スゴいベルボトムを履いているのが気になります。ここまで裾幅があると、足に絡まって走りづらいだろうに。なお、サンディ・ローは右の写真のような場所。デリーのYou Are Now Entering Free Derryのロイヤリスト版です。
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【写真】2組目28点目、シャンキル・ロード、UDA@1972年

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http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

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1972年のシャンキル・ロード(UDAによる道路封鎖)。写真を見ていただければわかると思います。「いっぱしの義勇兵」を気取っているのは、1969年とか1968年に生まれた子でしょう。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=28

DRコンゴでの少年兵・子供兵士という問題が今まさに報じられているときに見る写真としては、非常に複雑なものがあります。
タグ:資料 写真 UDA 1972
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【写真】2組目27点目、UDAとオレンジ・オーダー@1972年

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http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

見出しに「2組目」と書いてあるエントリでは、本館での2番目の紹介記事で言及したものを扱っています。

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「UDA幹部と同席するマーティン・スマイス師とビリー・ハル。1972年」。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=27

スマイス(写真一番左のサッシュの人)はプレスビテリアンの宗教者で、オレンジオーダーのグランドマスターですが、UUPの政治家でもありました。

っていうか:

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【写真】2組目26点目、UDA@1972年

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http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

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「ブルームフィールドで行進を始める前に視察を受けるUDAメンバーたち。1972年9月30日」。100人くらいいるのかな、決して裕福ではない住宅街の路上に整列する黒ベレーにサングラスの男たち。歩道のところには高齢の女性の姿も確認でき、男たちの横、画面一番手前には10歳くらいでしょうか、男の子がいます。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=26

UDAは当時は非合法化されていなかったとはいえ、暴力集団でした。カトリック・コミュニティへの襲撃があり、上に書いたように警官との衝突もありました。狙撃、銃撃もやってました。でも、そのパレードは住宅街で行なわれ、歩道ではおかあちゃんたちが見守っている。

「テロ」と呼ばれるもの、「テロ組織」と呼ばれるものが、その社会にどういう「居場所」を持っているか、ということです。
タグ:資料 写真 UDA
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【写真】2組目25点目、IRAのベレー帽の男@1970年代初め


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http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

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次が……ベルテレのイヤミっぷりにお茶ふき。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=25

粒子の粗い、いかにも「引き延ばしました」調の写真に写っているのはIRAのベレーをかぶった3人の男性です。私には名前のわからない人と、昨年11月に亡くなったマーティン・ミーハンと……、えー、ジェリー・アダムズ

げふんげふん。

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【写真】2組目24点目、ジェリーとマーティン@1987年

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23点目でイアン・ペイズリーが出てきた次は、ジェリー・アダムズとマーティン・マクギネスです。今回のベルテレさんのギャラリーは実に編集がよいです。いろいろな意味で。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=24

キャプションによると、これは1987年(5月)のパトリック・ケリーの葬儀でのものだそうです。パトリック・ケリーは、この写真特集2組目の13点目で扱われているLoughgall ambushでSASに射殺された8人のIRAメンバーのひとりです。というか、英軍にとって「脅威」だったIRAのthe East Tyrone Brigadeの司令官でした。
http://en.wikipedia.org/wiki/Patrick_Joseph_Kelly

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【写真】2組目23点目、ニューリー警察署攻撃後のイアン・ペイズリー(宗教家、政治活動家)@1985年

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「宗教」の話になったところで、23点目。イアン・ペイズリー(プロテスタント過激派、宗教家、政治活動家)です。1985年2月28日のニューリー警察署へのIRAの迫撃砲攻撃の現場で、テレビカメラに取り囲まれています。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=23

ニューリーの警察署への攻撃については、最近書いたような気もしますが、記事を探す手間を省きます。

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【写真】2組目22点目、武装勢力の襲撃に巻き込まれた女性の葬儀@1984年

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http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

見出しに「2組目」と書いてあるエントリでは、本館での2番目の紹介記事で言及したものを扱っています。

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キャプションは、「メアリー・トラヴァースの葬儀での母ジョーンと姉(妹)のアン。メアリーの父トムは判事で、一緒に教会から歩いて帰る途中でIRAのガンマンに狙撃された。1984年」。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=22

http://cain.ulst.ac.uk/othelem/chron/ch84.htm
Sunday 8 April 1984
The Irish Republican Army (IRA) carried out a gun attack on Thomas Travers, then a Resident Magistrate, outside St Brigid's Catholic Church in Belfast. Travers was seriously injured in the attack but his daughter Mary Travers (22) was shot and killed.

IRAが「標的」とした判事は重傷を負い、一緒にいた娘さんが亡くなった、とのこと。

葬儀でのお母さんとお姉さんのベールを見ても明らかなことですが、被害者がカトリックであったことに注目してください。「判事」という職にあった体制側の人間は、カトリックであっても、IRAの「標的」だったのです。

北アイルランド紛争は、宗教紛争などではありません。宗派紛争でもありません。宗派対立が大きな位置を占めていたことは事実ですが(「カトリック」や「プロテスタント」が罵倒のためのレッテル貼りとして機能するほどに)、それがすべてではありません。
タグ:写真 資料 葬儀
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【写真】2組目21点目、ミルタウン墓地@1987年

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エニスキレン爆弾事件は、ひとりのロイヤリストのガンマンを激怒させました。そのガンマンが起こした事件の写真が21点目。ミルタウン・マサカーです。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=21

1988年3月16日。6日にジブラルタルでSASによって射殺されたIRAメンバー3人の葬儀がベルファストのミルタウン墓地で行なわれていました。シン・フェインの幹部を含め、コミュニティの人たちが参列していたその葬儀を、ロイヤリストのガンマンは襲撃しました。参列者3人が死亡、4人が重傷。詳細は、葬儀襲撃犯のマイケル・ストーンについて書いたものをご参照ください。この人はいろいろと「香ばしい」ことになっているので、記事一覧も見づらいかもしれませんが。
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【写真】2組目20点目、エニスキレン@1987年

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http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

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1987年11月8日、エニスキレン。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=20

エニスキレンについては下記をご参照ください。
http://nofrills-nifaq.seesaa.net/article/115742584.html
1987年11月8日、日曜日。北アイルランドの西部、ファーマナ州最大の都市、エニスキレン。その日は英国の「戦没者追悼の日 (Remembrance Sunday: 第一次・第二次大戦の戦死者を追悼する)」で、エニスキレンでもほかの都市と同じように、街の戦没者慰霊碑のある広場で、追悼式典が執り行われようとしていた。エニスキレンは英陸軍の連隊が拠点としていた街で、その日、広場に集まっていたのは儀式のパレードを見るために出かけてきた一般市民で、その多くはプロテスタントの高齢者(戦中世代の人たち)だった。

午前10時45分、慰霊碑のすぐそばの建物が爆発した。建物の大きな壁が吹き飛び、一帯は瓦礫に覆われた。

爆弾を仕掛けたのはIRA (the Provisional IRA) だった。予告電話はなかった。

瓦礫の下に生き埋めになった人たちを、慰霊碑までパレードしてきていた軍人たちが救出するところが、追悼式典を取材にきた報道陣のカメラによって克明にとらえられている。
http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/november/8/newsid_2515000/2515113.stm
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【写真】2組目19点目、攻撃されたバス車庫@1982年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" を見ていきます。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

見出しに「2組目」と書いてあるエントリでは、本館での2番目の紹介記事で言及したものを扱っています。

なお、以下に貼り付けるURLは既に変更になっています(写真が差し替わっています)。このため、参照すべき写真をサムネイルのサイズにし、どういう写真なのかがわかる程度にした状態で添付しますので、それを参考に上記URLから探してください。




18-bus-200.jpg

1982年4月28日に、アーマーのバス車庫がIRAに攻撃されたときのもの。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=19

彼らがどういう理屈をつけてバス車庫を焼いたのか、私は知りません。
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【写真】2組目18点目、ロング・ケッシュ、ハンガーストライキ@1980年

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17-raymond-200.jpg

18点目はハンガーストライキ。といっても1981年のボビー・サンズのではありません。その前、1980年のブレンダン・ヒューズのハンストの参加者7人のうちの1人です。

彼(ら)はハンストに入る前にブランケット&ダーティ(ノー・ウォッシュ)・プロテストをやっていたので、髪も髭も伸び放題。写真は絶食してかなり経過してからロングケッシュの病院棟のベッドで撮影されたもの。密かに撮影されたこの写真が密かに持ち出されて、リパブリカンの印刷物として人々の目に触れ、「ハンスト」を伝えることとなります。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=18

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【写真】2組目17点目、デリーのUDA@1972年

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17点目は「ロンドンデリー(デリー)のUDA。1972年9月30日」。ジーンズに覆面みたいな男たちが、何人かは手に棒を持って、住宅街の通りの真ん中を移動しています。「自警団」としての活動中のところを撮影したものでしょう。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=17
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【写真】2組目16点目、UDAの検問所@1972年

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「過激派ルック」の人々が14人、横に並んで道路を封鎖しています。キャプションは「モート・ロードのUDAの検問所。1972年6月8日」。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=16

1972年の6月というと非常に大きな動きがあった時期です。6月っていうか5月末ですが(29日)、Official IRAが停戦を宣言しています。彼らはこれを最後に武装活動から退いたわけで、これ単独でもNI紛争の上ではひとつの大きな動きでした(でも後からのあれこれで相対的には小さなことになっているかも)。

そして、先にも書いたようにIRA (Provisional IRA) が停戦しています。詳しく書けば、6月20日にドニゴールとデリーの境界のエリアで英政府とIRA代表団との会談があり(英政府側はNI担当大臣Whitelawの代理、IRAからはDavid O'Connell (Dáithí Ó Conaill) とジェリー・アダムズ【←ツッコミ入れたい人も、今はスルーしてください】)、「26日に停戦する」と22日に宣言、実際に26日に停戦しています。そしてその後、30日に警戒を高めたUDAが自身の no-go areas を作り始めます。(No-go areaとは「警察・軍立ち入り禁止エリア」のこと。そのエリア内ではパラミリタリーが警察の役割を勝手に果たす。)7月3日には、このno-go areaをめぐってUDAと北アイルランド警察(RUC)が衝突する事態となっています。そして7月7日には再度、英政府とIRAとの秘密会談(←リンク先、当時の記事)。しかしその時期も英軍によってカトリックの人が射殺されるなど、実際には「停戦」は看板だけという状況で、7月22日にはついに「ブラディ・フライデー」(後述)、事態は泥沼化しました。
http://cain.ulst.ac.uk/othelem/chron/ch72.htm#Jun
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【写真】2組目15点目、「シンボル」不在の葬儀@1971年

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14-funeral-200.jpg

一様に硬い表情で住宅街を集団で歩く人々。歩道に女性が1人いるかもしれないけど、30名ほどのこの集団は男性だけです。スーツにネクタイとか、ブレザー姿で、それなりにフォーマルな集まりだということが見ればわかります。そして彼らの何人かは手に棒状のもの――1秒ほど見つめればわかるように、ハーリングのスティックなのだけど――を持ったりしています。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=15

ここまで見てキャプションを。「Blackstaff川で銃殺体で発見されたジョン・ジョセフ・キャヴァナの葬儀に参列する人々。1971年1月27日」。

http://cain.ulst.ac.uk/sutton/chron/1971.html
27 January 1971
John Kavanagh (28) Catholic
Status: Civilian (Civ), Killed by: Irish Republican Army (IRA)
Found shot by Blackstaff River, off Roden Street, Belfast.

ベルテレの写真キャプションには書かれていないんですが、この人はIRAに殺されたカトリックです。

もう一度、写真を見ましょう。「アイリッシュ・トリコロール」など、「アイルランドのシンボル」がここにはありません。ハーリングのスティックを除いては。

この「シンボルの不在」の意味について、少しの間、考えてみてください。なぜここに、「彼ら」のシンボルがないのかを。「カトリック」が集団として「リパブリカン・ムーヴメント(つまりシン・フェインとIRA)」に染まっていたわけではない、ということを。
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【写真】2組目14点目、シャンキル・ロードの炊き出し@1972年

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13-mum-200.jpg

14点目。おかあちゃんたちが炊き出しをしている光景。卵とかソーセージとかね。何かお祭りか、と思いきや、「シャンキル・ロードのUDAメンバーのための食事を用意するUDA支持者。1972年7月2日」。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=14

炊き出し担当までサングラス姿って(しかも室内)……。当時UDAは「非合法組織」ではなく、よって彼女らは非合法であるという後ろ暗い思いをしながら顔を隠して炊き出しをしているわけではないはずなのですが。この「女たちのサングラス」については、頭の片隅に置いておきたいと思います。何か読んでるときに出てきたら書く、という感じで。(UDAにしろUVFにしろ、基本「男たちの」だから、女性たちについてはあまり文章がない。ただし「左翼ゲリラ」のIRAは女闘士が何人もいました。)
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【写真】2組目13点目、Loughgall ambush@1987年

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12-bomb-200.jpg

13点目は事件現場……ようやく「生前の笑顔」でないものが……ああ、Loughgall ambush (1987年5月) だ、かんべんしてくれ。これはえぐいよー。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=13

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【写真】2組目12点目、若き英軍兵士@1971年

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11-scot-200.jpg

スコッツ・ガードのポール・ニコルズさん(軍人)。1971年、フォールズ・ロードでIRAのスナイパーによって射殺。どう見ても20歳かそれより若い。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=12

http://cain.ulst.ac.uk/sutton/chron/1971.html
27 November 1971
Paul Nicholls (18) nfNI
Status: British Army (BA), Killed by: Irish Republican Army (IRA)
Shot by sniper while on British Army (BA) foot patrol, St James Crescent, Falls, Belfast.

18歳だったとのこと。

「人の死」をこういう形で見せられ続けて息苦しくなってきた。
タグ:資料 写真 英軍
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【写真】2組目11点目、幸せそうな家族写真

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10-family-200.jpg

ミーハンさんという、夫婦と子供4人の一家のスナップショット。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=11

お母さんのメアリー・ミーハンさんは、1971年10月23日に英軍によって射殺された、とキャプションにあります。CAIN参照……

http://cain.ulst.ac.uk/sutton/chron/1971.html
23 October 1971
Maura Meehan (30) Catholic
Status: Irish Republican Army (IRA), Killed by: British Army (BA)
Shot while travelling in car warning local residents of British Army (BA) house raids, Cape Street, Lower Falls, Belfast.
タグ:写真 資料
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【写真】2組目10点目、UDA葬儀@1972年

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09-funeral-200.jpg

「UDA義勇兵【←原文の直訳】のジョン・ブラウンの葬儀、1972年7月1日」。決して裕福とはいえない住宅街を進む葬列。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=10

ジョン・ブラウンの死:
http://cain.ulst.ac.uk/sutton/chron/1972.html
24 June 1972
John Brown (29) Protestant
Status: Ulster Defence Association (UDA), Killed by: Ulster Defence Association (UDA)
Found shot near his home, Blackmountain Parade, Springmartin, Belfast. Internal Ulster Defence Association dispute.


……つまり、UDAの内紛です。でも葬儀ではUDAが葬列をエスコートしている。

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【写真】2組目9点目、デリーIRAの幹部をしていた当時のマーティン・マクギネス

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08-martin-200.jpg

次、9点目もリパブリカンでマーティン・マクギネス。1971年、デリーのボグサイドでの記者会見。1950年生まれだから20歳か21歳。若いなぁ。このとき既にデリーIRAの幹部。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=9

この写真は下記の会見だろうと思います。
In 1971, it is thought he became the 21-year-old commander of "Free Derry" and appeared at a Provisional IRA press conference where the new leadership offered to talk peace.

Profile: Martin McGuinness
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/1303355.stm


じゃあこれは何かというと、たぶん下記(確証なし)。インターンメントに抗議する内容の会見で、マクギネスが持っているのは引っ張って行かれたデリーのナショナリスト/リパブリカン活動家(IRAメンバー)の一覧だと思われる。

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【写真】2組目8点目、インターンメント、ロング・ケッシュ@1970年代

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07-brendan-200.jpg

で、ロビンソンの「アイルランド侵略事件」の次にこれ、というのが……あたまがいたいです。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=8

Brendan Hughes and Gerry Adams in the old Long Kesh prison.

ブレンダン・ヒューズについては下記参照。

2008年02月18日 【訃報】ブレンダン・ヒューズ(1980年IRAハンスト時のリーダー)
http://nofrills.seesaa.net/article/84692395.html

「古いロング・ケッシュ」については下記参照。

2008年11月02日 "talking to a dead man" ――ロング・ケッシュを経験した人の映画Hungerのレビュー
http://nofrills.seesaa.net/article/108986493.html
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【写真】2組目6, 7点目、ピーター・ロビンソン(現NI自治政府ファーストミニスター)@1970年代、80年代

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05-robinsons-200.jpg

6点目が……お茶ふいた。若い!ピーター&アイリス・ロビンソン夫妻。1979年5月4日。ピーター・ロビンソンがMPに初当選したときのもの。アイリスは恐ろしくなるほど今も同じ顔だけど、ピーターは顔だけ見せられてもわかんないかも。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=6

7点目もピーター・ロビンソン。(もういいです。)
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=7

06-robinson-200.jpg

「1986年、モナハンの小さな村に入らんとするところ」としかキャプションにないのだけど、なぜモナハン(共和国の一部)。一緒にいる迷彩は誰。このベレーは何……というときは検索を。(これは現地では「1986年、ピーター・ロビンソン、モナハンの小さな村」だけでわかることなのでしょう。)

On 7 August 1986, in protest at the Anglo-Irish Agreement, Robinson led a group of 500 loyalists into the town of Clontibret in County Monaghan in the Republic of Ireland. The loyalists entered the Garda station in the town and physically assaulted two police officers, before holding a quasi-military parade in the town square. Robinson was later arrested. ... In a subsequent court appearance in Dundalk he again led a large loyalist mob into the town which led to a riot. At his trial the judge described him as "a senior extremist politician." The event earned him the nickname "Peter the Punt" for a while.

http://en.wikipedia.org/wiki/Peter_Robinson_(politician)#Clontibret


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