「NAVERまとめ」での「北アイルランド」のカテゴリは、音楽や映画についての単発の「まとめ」はあるが、継続的にはほぼ私しか使っていない状態で、一覧は下記URLから。
http://matome.naver.jp/topic/1M1NG
以下、11月2日の「本家」とのクロスポスト。
『北アイルランド、「郷土史」的な視点から』tnfuk [today's news…|http://t.co/h0FQjdhlLN
— nofrills (@nofrills) November 2, 2014
北アイルランド、ファーマナ州。エニスキレンがあり、2013年のG8サミット開催地となったアーン湖のゴルフリゾートがある自然豊かな「アイルランドの田舎」だ。
1972年10月、既にデリーの「ブラディ・サンデー事件」などで「北アイルランド紛争」は激化しており、事態は「プロテスタント系住民対カトリック系住民の対立」ではなくなって、そこに「中立の勢力として介入した」はずの英軍も加わって、混沌としていたころのことだ。
ファーマナ州の酪農家を訪れた燃料店の御用聞きが、2人が殺されているのを発見した。ピッチフォークで刺されたように見受けられたことから、この事件は「ピッチフォーク殺人事件」と呼ばれた。殺されたのは30代と40代の農家の男性で、いずれも「リパブリカン」の活動はしていなかったが、「カトリック」だった。
誰が殺したのか……「プロテスタント」の過激派の仕業ではないかなどとも考えられたが、手がかりはつかめず、数年が経過した。のどかな田舎でも「紛争」による緊張感が日常生活に入ってきた。
そして1978年、スコットランドで「私はヨークシャー・リッパー(連続殺人鬼)の真相を知っている」と警察を訪れた人物が、「6年前の北アイルランドの事件についても知っている」と告げた。これにより、「ピッチフォーク殺人事件」は一気に解決した。
その結果、はっきりわかったのは、英軍が、地元警察(当時はRUC)に対して情報を隠蔽していたということだった。農家の人2人を殺したのは英軍人、凶器はダガーナイフだった。
……この事件のことを私は知らなかった。私が読んだ本には書かれていなかった。ウェブ検索しても「事件名」としてこの事件がヒットすることはない。むろん、私はこの事件が地域にいかに影響したかも知らなかった。
それについて、「まとめ」てある。より正確には、こういった「郷土史」的なことを教えてくれるTwitterのアカウントの10月下旬のツイートを記録してある。
北アイルランド紛争の「今日は何の日」をツイートするアカウントがある。
http://matome.naver.jp/odai/2141481836320855701
よくある「歴史資料」系のアカウントだが、ここがすごいのはその視点が「個人」のレベルであることと(おそらく、何人かの個人の新聞記事スクラップブックが元)、botではなく人々の「対話」の場になっているということだ。上記「まとめ」にもその「対話」が含まれている。
「紛争」も「戦争」も、語られるときは《大きな物語》でも、体験されるときはパーソナルなものである。
![]() | Personal Accounts from Northern Ireland's Troubles: Public Conflict, Personal Loss Marie Smyth Pluto Press 2000-05-01 by G-Tools |