http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece
写真URL:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=202
キャプション:
Steel helmeted police at a burning barricade across Shankill Road, Belfast, littered with stones and debris after a spree of rioting. 1969
「シャンキル・ロード、炎上するバリケードと、鋼鉄製ヘルメットを着用した警官隊。暴動が発生し、道には石や何かの破片が散乱している。1969年」
【URLは2009年5月5日確認。特に告知なく変更される可能性があります。またURLが変わると写真が見つけられなくなるので、「何となくこういう写真」ということがわかる程度のサムネイル画像を下記に添付します。】

写真に日付が添えられていないのでわかりませんが、英軍ではなく警官隊ということは、英軍投入前です。
ロイヤリストがこういう暴動を起こしていた、ということは――この写真に明白な通り、ここでの「対立」は「ロイヤリスト」対「警察」という構図です――、北アイルランド紛争を「少数派であるカトリック系住民」に対する「政府の弾圧」として扱う立場では、あまり重視されません。(ついでながら、その「政府」が「南アのアパルトヘイト政権に類似したNI自治政府」であるという時期と、「英国政府」であるという時期は、「左翼ゲリラ」であった/あろうとしたリパブリカンのプロパガンダでは意図的にないまぜにされます。そしてそのリパブリカンのプロパガンダの表層的な部分が、頻繁に、「事実」として言及されます。)
しかし、「北アイルランド紛争」における「武装組織」の活動は、この写真にあるような、「住民の暴動」とか「住民同士の衝突」(それがどの程度「衝突」であったのかは別途検証する必要がありますが)によって始まったものと認識すべきです。
「北アイルランド紛争」の「背景」として頻繁に語られる「カトリック系住民(マイノリティ)の権利の蹂躙」という側面については、1960年代末においてはNICRAのような政治運動(公民権運動)としての、ノン・セクタリアンな動きがありました。1970年代にはSDLPという政党が組織され、SDLPは長く「ナショナリストのコミュニティ」では第一党の位置にありました。
しかしNICRAやSDLPが政治的に何とかしなければとしていたNI社会の問題点に対する問題意識は、IRAにとっては「若者が組織に入るきっかけ」として機能しました。そしてIRAはセクタリアンな組織でした。むろん、「プロテスタント」側のUVFやUDAがIRA以上に「セクタリアンな組織」であることは、見過ごしてはなりませんが。(というか、北アイルランドのプロテスタント・コミュニティにとっては、「オレンジ・オーダー」などのがちがちの組織の影響力が強い。)
北アイルランド紛争における「宗教」というものの役割については、上記のような点からのアプローチが必要です。