http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece
写真URL:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=206
キャプション:
DESMOND BOAL IS HELD ALOFT BY JUBILANT UNIONIST SUPPORTERS AT THE BELFAST CITY HALL AS THE RESULT OF THE SHANKILL BY-ELECTION IS ANNOUNCED. 17/2/1960
「1960年2月17日。シャンキル選挙区での補選結果に喜ぶユニオニストの支持者に肩車されるデズモンド・ボール」
【URLは2009年5月5日確認。特に告知なく変更される可能性があります。またURLが変わると写真が見つけられなくなるので、「何となくこういう写真」ということがわかる程度のサムネイル画像を下記に添付します。】

1960年ですから「北アイルランド紛争」中の写真ではありません(「紛争」が始まる8〜9年前です)。
デズモンド・ボールはユニオニスト強硬派(「アイルランド共和国政府、および北アイルランドのカトリック系住民との関係改善」に反対)、立候補・当選のときはUUP所属でしたが、翌年に離党し、「ものすごい強硬派」のDUPの設立メンバーに入っています。当時のNI自治政府は、テレンス・オニール首相のもと、共和国との関係改善を模索していました(といってもこのときNIのユニオニスト独占政権によって共和国が「虐げられていた」わけではないし、オニールが「穏健派」だったというのはコンテクストを見る必要があることなので、この時代のことについて何か書くなどするときは、慎重に調べてからにしてください)。
いろいろあってその「関係改善路線」がつぶれたことは、「北アイルランド紛争」という文脈で非常に重要なことです。詳細はボールについてのウィキペディアの項と、そこにあるほかの人名などから:
http://en.wikipedia.org/wiki/Desmond_Boal