http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece
見出しに「2組目」と書いてあるエントリでは、本館での2番目の紹介記事で言及したものを扱っています。
なお、以下に貼り付けるURLは既に変更になっています(写真が差し替わっています)。このため、参照すべき写真をサムネイルのサイズにし、どういう写真なのかがわかる程度にした状態で添付しますので、それを参考に上記URLから探してください。

39点目は急に時代が新しくなります。1994年5月23日、ベルファストのシティホールが爆弾でやられたときの救出活動。英軍と警官と……という写真。
http://cain.ulst.ac.uk/othelem/chron/ch94.htm#May
「爆弾だ、IRAだ」というのはあまりに短絡的なのですが、実際にこの爆弾はIRAではありません。UVFです。(ここでようやく、UVFがこの写真特集に出てきました。)
http://cain.ulst.ac.uk/othelem/chron/ch94.htm#May
Monday 23 May 1994
The Ulster Volunteer Force (UVF) carried out a bomb attack on the Sinn Féin (SF) office in Belfast City Hall. The explosion injured two workmen.
この後も、各派が入り乱れてだらだらと流血は続きましたが、この年の8月31日、IRAが軍事作戦を停止します。28日にシン・フェインのアダムズと、SDLPのジョン・ヒュームの会談で共同宣言が出され、そこで「武装闘争ではなく民主的政治で、アイルランドに恒久平和をもたらす」と明記されました。
そしてUDA、UVFも同年10月に停戦、しばらくは「平和」が続きましたが、当時のメイジャー政権下では交渉が難航し、1996年2月9日、PIRAはロンドンのドックランズをボムります。そしてPIRAは再びイングランドをも「戦場」とし、UVFはダブリンに遠征するなどの元の木阿弥となり、英国の総選挙で労働党が圧勝した2ヵ月半ほど後の1997年7月20日、PIRAは改めて停戦を宣言します。そして、PIRAの「政治的暴力」は止まりました。翌年のグッドフライデー合意に反対するメンバーが分派してReal IRAになったり、ずっと前の分派であるINLAやContinuity IRAの存在はありますが、いわゆる「IRA」ことProvisional IRAはそのまま、2005年の武装解除まで(紆余曲折ありながら)こぎつけました。