今からちょうど21年前の1988年3月16日、ベルファストのカトリックの地域にある「ミルタウン墓地」で、3月6日にジブラルタルで射殺された3人のIRA「義勇兵」の葬儀が行なわれていました。「IRAの軍葬」という形でとりおこなわれた葬儀には、ジェリー・アダムズ、マーティン・マクギネスといったリパブリカンの指導者をはじめ、多くの人々が参列しており、「ジブラルタルで射殺されたIRAメンバーの葬儀」ということで、マスコミの取材のカメラも多く入っていました。
この葬儀を、ひとりのロイヤリストの「兵士」が襲撃しました。(この人物の自伝には「フリーランスだった」とありますが、元々UDA/UFFに所属していました。「兵士」というのは彼の自認です。)
少し冗長になりますが、過去に書いたものから。(2年以上前に書いたものなので、文中のリンクが切れていたらすみません。)
2006年11月02日 Michael Stone(マイケル・ストーン)
http://nofrills.seesaa.net/article/26613641.html
1988年3月16日、ジブラルタルで英軍特殊部隊に射殺されたIRAメンバー3人の葬儀が、ベルファストのミルタウン墓地で行なわれていた。多くの人たちが集まった葬儀にはジェリー・アダムズ、マーティン・マッギネスらシン・フェインの幹部も参列していた。棺が墓地に運ばれ、地面に置かれたそのとき、手榴弾が投げつけられ、墓地内に潜んでいたストーンのピストルの銃口からジェリー・アダムズらを狙って銃弾が放たれた。アダムズらは難を逃れたが、IRAメンバー1人と、カトリックの一般人(IRAメンバーではない)2人が、ストーンによって殺された。一連の出来事は葬儀を取材していたテレビカメラにとらえられていた。それで一躍名前が知れ渡った。ストーンはその場で葬儀参列者に取り押さえられ、ぼこぼこにされて車に押し込められたところを、警察に保護、というか逮捕された。(→ストーンの襲撃の瞬間の映像@音声付と、襲撃後の様子も含めた映像@音声は音楽)(※これら2つとも、プロパガンダ色の強いものです。前者はロイヤリストのプロパガンダ、後者はリパブリカンのプロパガンダ。)
そして1989年、裁判で有罪となり終身刑(懲役700年くらい)に服することになったが、「服役中の政治犯の釈放」を規定した1998年のグッドフライデー合意(GFA:ベルファスト合意)により、2000年に釈放された。
http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/
stories/july/24/newsid_2515000/2515041.stm
2009年3月の英軍基地襲撃と警官射殺という2つの事件のあとにタイムズがオンラインで掲載した北アイルランド紛争写真集(全11点)の4点目が、マイケル・ストーンが襲撃した直後のマーティン・マクギネスをとらえています(4人いる人物の一番左)。ひとりの負傷者と、彼を介助している人たちとマクギネス。背景には大勢の人の後姿。
ナショナリスト/リパブリカンの間では「ミルタウンの虐殺 Milltown Massacre」と呼ばれるこの襲撃で、上述の通り、3人が殺され、60人以上が負傷しました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Milltown_Massacre
アダムズとマクギネスを狙って襲撃し、「標的」の2人は無傷でそれ以外の3人(うち2人は民間人)を殺したマイケル・ストーンは、襲撃について、その前年の1987年11月のエニスキレン爆弾事件(戦没者慰霊の日の英軍パレードを標的としたIRAによる爆弾攻撃が微妙に失敗し、パレードを見物に来ていた民間人11人が殺された事件)の報復として行なった、と述べています。
暴力はここで停まりませんでした。
1988年3月19日、ミルタウン墓地襲撃で殺されたIRAメンバーの葬儀がおこなわれたときに、2人の英兵(非番で私服だった)がうっかり墓地のあたりを訪れてしまい(信じられないほど間が抜けていますが、本当に「偵察」ではなかったそうです)、疑わしく思った参列者によって車から引きずり出されて連れて行かれ、殴られて服を脱がされ、最後は射殺されるということがありました。この事件もまた、葬儀を取材に訪れたマスコミのカメラがとらえていました。殺された兵士のひとりは、もちろん北アイルランドの人ではないのですが、カトリックでした。そして彼が倒れている現場に神父さんが急行し、臨終を看取りました(last ritesをとりおこないました)。この神父さんは90年代の北アイルランド和平プロセスで非常に大きな役割を果たした聖職者のひとりです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Corporals_killings
http://www.amateurphotographer.co.uk/reviews/David_Cairns_-
_Under_fire_features_123184.html?offset=&offset=2
※上記2番目のリンクが、神父さんの最後の秘蹟の場面の写真とそれを撮影した人の解説です。写真は、流血写真がダメな人は見ない方がいいです。流血写真は平気という人でも、これはちょっとしたトラウマになるかもしれません(状況が状況だけに)。
ジブラルタルの3人の葬儀に対する襲撃の実行犯、マイケル・ストーンは、1989年に裁判で有罪となり終身刑(懲役700年くらい)に服することになりましたが、「服役中の政治犯の釈放」を規定した1998年のグッドフライデー合意により、2000年に釈放されました。彼もまたあのメイズ刑務所(ロングケッシュ)に入れられていたのですが、ミルタウン墓地襲撃というド派手なことをやった彼は「ロイヤリストのヒーロー」で、獄中ではUDAウィングのリーダー的な立場にあり、グッドフライデー合意前に英国政府の代表者(北アイルランド担当大臣、モー・モーラム)が停戦について説得しに訪れたのはストーンでした。(そして、ストーンがその説得に応じたことが、「和平」を前進させました。)
メイズ刑務所で絵画に目覚めたストーンは(子供のころから絵は好きだったそうで)、出所後の2000年代は「画家」として活動し、子供たちに絵の手ほどきをするなどし、自伝を出版し、BBCの "Facing the Truth" という番組(北アイルランド紛争の加害者と被害者が対面し、話し合うという番組)に出演するなど、「改心した元テロリスト」となっていたはずでしたが、2006年11月にマーティン・マクギネスとジェリー・アダムズの生命を狙い、手製の爆発物とモデルガンとナイフを持って自治議会の議場に乱入しようとして入り口のドアで取り押さえられ、その裁判の結果、2008年11月には有罪判決を受けて、刑務所に戻りました。議事堂乱入事件のときには、ロイヤリストの間でさえも「過去の人間だ」とか「頭がおかしい」(実際に、正常な状態ではなかったようです)とか、「目立ちたがりだから、注目されていたいだけ」とか、「元から虚言癖がある」とか言われていました。
ちなみに、議事堂乱入もその場にいた取材カメラによって逐一記録されていました(その日は北アイルランド自治議会・自治政府にとってとても重要な日だったので、主要メディアは勢ぞろいしていた)。
マイケル・ストーンに興味がある方は、本館のほうで「マイケル・ストーン」のタグをつけてある記事をご参照ください。
自伝を読みたい方は下記です。古書じゃないと入手できないかも。読者レビューはamazon.co.ukでどうぞ。出版社の書籍紹介ページはこちらです。ミルタウン墓地襲撃の前に、カトリックの一般人を3人射殺しています(殺した本人は「あれはIRAだった」と言っていますが)。
![]() | None Shall Divide Us: To Some He is a Hero. The IRA Want Him Dead. This is the True Story of the Artist Who was Ireland's Most Notorious Assassin... Michael Stone John Blake 2004-05 by G-Tools |