今からちょうど25年前の1984年3月14日、ベルファスト中心部で、一台の車が襲撃されました。
20発もの銃弾を浴びせられたその車に乗っていたのは、前年11月にシン・フェインの党首に選ばれていたジェリー・アダムズでした。
※上記キャプチャには、映画『父の祈りを』の「ギルフォード・フォー」と非常によく似た冤罪の事例である「バーミンガム・シックス」(1974年のIRAの爆弾事件の実行犯として有罪になった無実の6人)が晴れて自由の身になった、という1991年3月14日の記事も入っていますが、このエントリではアダムズの暗殺未遂のことだけを扱います。
BBC On This Day: 14 March
1984: Sinn Fein leader shot in street attack
Gunmen have shot and wo
http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/
stories/march/14/newsid_2543000/2543503.stm
アダムズは首、肩、腕に被弾しましたが、命に別状はなく、即座に搬送された病院で弾丸の摘出手術を受けて5日後には退院しています。
同じ車に乗っていた3人も負傷しましたが、誰も死亡はしませんでした。
車を襲撃したのは、ロイヤリスト組織UDAの攻撃専門部隊であるUFFでした。(銃撃実行犯は逮捕・起訴され、1985年に有罪判決を受けています。)
襲撃の数時間後に出された声明で、UFFは次のように述べています。BBCのOn This Dayの記事から:
In a statement issued hours after the shooting, the UFF claimed Mr Adams was "responsible for the continuing murder campaign being waged against Ulster protestants and is therefore regarded as a legitimate target of war".
UFFは、アダムズは「アルスターのプロテスタントに対する殺人作戦の責任者であり、したがって、戦争の正当な標的であると見なされている」と述べた。
アダムズが「何」であったのかについては、今でもなお少々面倒なのでここでは措きます。事実としてはっきりわかるのは、当時アダムズがシン・フェインの党首だったということと、彼が訴えられていたということです。
なぜ訴えられていたのか、という点について、再度、BBCのOn This Dayの記事から:
Mr Adams, 35, was on a lunch break during a trial in which he is facing obstruction charges.
...
The charges stem from an incident during the run-up to last June's general election, when the men were accused of trying to stop police from tearing down an Irish tricolour in Belfast.
つまり、前年の英議会選挙のとき(この選挙でアダムズは英下院議員に当選するのですが)、ベルファスト市内でアイリッシュ・トリコロールの旗(アイルランド共和国の国旗)が掲げられていたのを、警察が取り外そうとしたのを妨害し、公務執行妨害になった、ということです。警察が、アイリッシュ・トリコロールの旗を外そうとしたのは、それが「違法」だったからです。
この点については、過去に書いているものを貼り付けておくので、ご参照ください。
http://ch00917.kitaguni.tv/e267405.html
アイルランドの旗では、オレンジはプロテスタント(<オレンジ公ウィリアム)で、緑はカトリック、白はそのどちらでもないゆえに両者の共存・国家の統合を表す。(アイリッシュ・ナショナリズムの父ともいえるウルフ・トーンがプロテスタントだったことなどを考えると、この意味はもっと深く理解できる。)元々は、フランス革命の共和主義の影響を受けて19世紀半ばに本格化したナショナリズム(英国からの独立)運動で掲げられ、イースター蜂起(1916年)で反乱軍が掲げていた旗だ。北アイルランドのユニオニズム(英国残留派)勢力はこの旗を憎悪しており、NIに自治政府という名のユニオニスト独占政権があった1950年代から80年代には、北アイルランドではこの三色旗を掲げることが法律で禁止されていた。(その法律は、80年代にNIが混乱して自治が凍結されて英国の直轄統治になったあとで、廃止された。)
※この法律が廃止されたのは、1987年です。
アダムズが「アイルランドの旗」がきっかけで訴えられたのが26年前、車がガンマンに襲われたのが25年前……当時、その「中」にいた人たちにとっては、現在の北アイルランド情勢は当時は予想もできないものだっただろうし、だからこそ、今のこの状態から「過去に戻る」ことは強く拒否されているのだと思います。
ちなみに、アダムズの前にシン・フェインの党首だったのが、Ruairí Ó Brádaigh(ライリー・オブラディ)です。オブラディは、1969年にIRAがOfficialとProvisional(暫定派)に分裂したときに、一緒に分裂したシン・フェインの暫定派のリーダーとなってから13年間、シン・フェインを率いてきましたが、1986年にアダムズの路線に反対してシン・フェインを離脱し、「共和主義シン・フェイン Republican Sinn Fein」という別組織を立ち上げました。
このRSFという政治組織の武装部門(と位置付けて支障ないもの)が、2009年3月9日に警官を銃撃し殺したと犯行声明を出したContinuity IRA (「IRA継続派」) です。
つまり、RSFは今もなお「武装闘争」を続けようとしています。(それについて詳しく述べるのは別項にします。)
なお、アダムズが「標的」ではなくなった、ということが思わぬ形で示されたのが、2007年1月のことでした。ロイヤリスト武装組織UVFの政治部門であるPUPの党首で、元UVFメンバーだったデイヴィッド・アーヴァインが急な病で亡くなりました。「ロイヤリストの牙城」である東ベルファストのプロテスタントの教会で行なわれた彼の葬儀に、ジェリー・アダムズが参列しました。このとき、「奴をやるなら今だぞ」という言葉は、あったとしても冗談で出たくらいだったようです。
http://nofrills.seesaa.net/article/31357256.html
アーヴァインの葬儀で、当時英国政府の北アイルランド担当大臣だったピーター・ヘインは、「彼は、過去は変えることはできないが、道を開くことはできるということを知っていました。そしてその点で、彼はまさに中心的役割を果たした人でした」と語りました。
それから2年が経過して、暴力が完全に停止したわけではありませんが、それでも、「和平」というものがよりしっかりしたものに見えてきていることは事実です。