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2009年03月03日

【リパブリカンFAQ 質問10】 1981年ハンスト参加者のインタビューなどはないのですか。

【リパブリカンFAQ 回答10】

ネットで閲覧できて情報量が多い1981年のハンスト参加者のインタビューとしては、ハンストから25年となる2006年3月にガーディアンが取材した記事があります。(他にもあるかもしれませんが、とりあえず。他に何かこれというのがあればこちらのコメント欄からお知らせいただけると嬉しいです。)

The legacy of the hunger strikes
Melanie McFadyean
The Guardian, Saturday 4 March 2006
http://www.guardian.co.uk/politics/2006/
mar/04/northernireland.northernireland


これは週末の別冊に掲載されたもので、誌面で確か4ページの超ロング・インタビュー記事です。読むのにかなり時間がかかりますが(そして精神的にも疲れる)、1981年ハンストという出来事に関心がある方、1970年代の北アイルランド紛争の実態を知りたいという方はぜひ。

インタビューを受けている人々について、記事を書いている記者は次のように説明しています。

There were 13 other prisoners who survived that hunger strike (two, Pat McGeown and Matt Devlin, have since died). Seven agreed to be interviewed: Laurence McKeown, Paddy Quinn, Pat Sheehan, Jackie McMullan, Brendan McLaughlin, Gerard Hodgins and Brian (not his real name - his workmates know nothing of his past and his job takes him to loyalist areas). They pass unnoticed in the street; they have slipped into ordinary lives.

ハンガーストライキを生き残った囚人は13人(そのうちの2人、Pat McGeownとMatt Devlinは現在までに亡くなっている)。今回取材に応じてくれたのは以下の7人である。Laurence McKeown, Paddy Quinn, Pat Sheehan, Jackie McMullan, Brendan McLaughlin, Gerard Hodgins, そしてBrian(本名ではない。彼の職場の人々は彼の過去について何も知らないし、仕事の都合で彼はロイヤリストの地域に行かなければならないため仮名を用いる)。街を歩いていても誰も彼らに気付くことはない。彼らは平凡な生活の中に入ってしまっている。


インタビュー時までに亡くなっていた2人(Pat McGeownとMatt Devlin)はいずれも病死です。

インタビューに応じた7人のうち、仮名の「ブライアン」さんを除く6人については、ウィキペディアで大雑把なところはわかります。(「ブライアン」さんについては当然何もわかりません。)全員がProvisional IRAです。

Laurence McKeownさんは6月29日にハンスト入りし、70日絶食した後に家族によって止められました。

Paddy Quinnさんは6月15日にハンスト入りし、47日絶食した後に家族によって止められました。

Pat Sheehanさんは8月10日から55日間絶食したところで、ハンスト終了宣言が出されました。

Jackie McMullanさんもハンスト終了宣言でハンストを終えたひとりで、8月17日から48日間絶食していました。

Gerard Hodginsさんも同じく、終了宣言でハンストを終えています。9月14日から、20日間絶食。

Brendan McLaughlinさんは、ボビー・サンズの死からほどなく5月14日にハンスト入りしましたが、13日絶食したところで胃潰瘍で胃に穴が空いて離脱、彼に代わってハンストに入ったマーティン・カーソンが、5月29日から7月13日まで絶食し死亡しています。

彼らはみな、激動の1970年代をティーンエイジャーとして過ごし、10代のうちにIRAに入った人々です。その彼らが、自分がIRAの武装闘争に身を投じた理由を語り、ロングケッシュを語り、1981年ハンストを語り、そのハンストのもたらしたものについて語っているのが、ガーディアンのインタビュー記事です。

それから、ハンストで落命した人々について。

ボビー・サンズは文筆家でもあり、かなり多くのものを書き残しています。彼の文章は書籍として出版されていますし(→amazon.co.jpの検索結果ページ:サンズが書いた本ではなく、サンズについて書かれた本も混ざっていますが)、ボビー・サンズ・トラストのサイトのWritingsのところでも読めるようになっています。

INLAのOCとしてハンストに参加し死亡したパッツィ・オハラは、お母さんがまたかなりな人で、そのお母さんについての記事があり、2007年3月に本館に書いたものがあります。
http://nofrills.seesaa.net/article/35396797.html

少しコピペしておきます:
パッツィ・オハラはINLAの義勇兵だった(IRAではない)。彼は1957年、デリーのパブ兼食料品店のおやじの息子として生まれた。一家の息子たちは1971年から75年のインターンメント(礼状なしの逮捕・起訴容疑なしの拘束:今で言えばグアンタナモ式)で次々と身柄を拘束され、拘置施設に放り込まれた。むろんそういうことがあったのは彼の家だけではなく、若きパッツィは武装主義を選ぶ。彼の母方のおじいさんは第一次大戦で英軍兵士として欧州で戦ったが、戦後故国に戻ると独立戦争で(映画『麦の穂をゆらす風』参照)、英国の治安部隊(タンズやらオークスやら)が暴れていた。そこで彼は軍人としての恩給を拒否し、リパブリカン運動(=共和主義運動=王政の拒否=反英闘争)に入った。彼は1939年に死去したが、その娘がパッツィ・オハラのお母さん、ペギー・オハラである。
http://larkspirit.com/hungerstrikes/bios/ohara.html

The 76-year-old dissident taking on Sinn Féin
Owen Bowcott, Ireland correspondent
Thursday March 1, 2007
http://www.guardian.co.uk/Northern_Ireland/Story/0,,2023860,00.html

【大意】
ペギー・オハラは76歳。非/反主流派リパブリカン運動の指導者的存在である。真っ黒に染めた髪を頭のてっぺんで結い上げた彼女は、警察との協力に反対し、たとえ選挙に勝ったとしてもストーモント議会の議席は拒否する構えである(※abstentionismを参照。つまり「ガチガチのリパブリカン」)。

その彼女が今度の選挙に立つ。立候補は初めてだ。

デリーの自宅の応接間は、息子のパッツィを偲ぶ神殿になっている。パッツィはINLAのメンバーで、1981年のハンストで死ぬまで断食をした。ペギーの立候補は、パッツィという犠牲を裏切った者たちに対抗するためのものだと彼女はいう。

……コピペ時に略……

選挙の結果、DUPとシン・フェインの2党が最大政党となることはほぼ確実な情勢であるが、選挙は比例代表制で行なわれるため、少数のマージナルな勢力が与える影響は大きなものになるかもしれない。そして今回の選挙では、非/反主流派のリパブリカンが――CIRAやRIRAの政治組織など――、初めて、シン・フェインに対抗する候補者を立てるのである。(※「RIRAの政治組織」というのは32 CSMのこと、「CIRAの政治組織」というのはおそらくRSFのこと。)

デリー、フォイル川の西岸の一帯では、シン・フェインやSDLPのポスターと並んで、ペギー・オハラのポスターがあちこちに張られている。

かつてはアメリカでPIRAの資金集めをしていたマーティン・ガルヴィンが、現在では彼女の応援に乗り出している。彼の金で新聞広告を買い、ウェブサイトを開設し(※検索したらすぐに見つかりました)、3万部のリーフレットを印刷して配った。

「このキャンペーンの先頭に立っているのは私なのよ」と語るペギー・オハラは、卒中から回復しつつある過程にある。「息子のため。パッツィのためにやっているんです。私はあの子が死ぬのをベッドの傍らで見取ったんですから」

シン・フェインは体制側に「身売り」したのだと彼女は言い切る。「闘争の結末が警察の支持だなんて、あの子たちが知っていたら、くだらない、意味がないと思ったでしょうね」(以下略)


アメリカ人のIRAのファンドレイザーが開設したペギー・オハラのサイトを見れば旗があるのですぐにわかると思いますが、彼女の所属政党はもちろんINLAの政治部門、IRSPです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Irish_Republican_Socialist_Party

……略……

それからもうひとつ。先日アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した「映画版でのディープ・ソートの声」こと大女優デイム・ヘレン・ミレンが主演した数多くの映画の中に、1996年のSome Mother's Sonという映画がある。監督は後に『ホテル・ルワンダ』を作ったテリー・ジョージ。この人は北アイルランドの人で、若いころにINLAの活動に関わって逮捕・投獄を経験している。
http://imdb.com/title/tt0117690/

この映画についてはそのうちにアップしたい記事が下書きのフォルダに入りっぱなしになっているのだが、まあとにかく、現在簡単に見られる映画ではない。USでもUKでもDVDのリリースはなくVHSのみで、VHSももう廃盤である。日本で見るにはNTSCのUS版が必要だが、amazon.comあたりで探せば中古のNTSCのVHSが出ているからまったく入手不可能というわけではない。(それでも字幕というありがたいものはない。)

ともあれ、この映画は1981年のハンストを題材としたフィクションで、獄中でハンストを行なったリパブリカンの義勇兵(IRAとINLA)の母親2人の目と行動を通して、1981年の北アイルランドを描いている。

その母親2人のうちの1人、女学校教諭のカスリーンを演じているのがヘレン・ミレンなのであるが、政治的なことにはまるで関わっていなかった彼女が、いつの間にかIRAに入っていた息子の投獄とでたらめな裁判を通じて知り合ったもうひとりの母親、アニーは、がっちがちのリパブリカンである。

映画の「アニー」には何人かのモデルがいるだろうが、そのひとりはおそらく、ペギー・オハラだ。


ネタバレになるのだけれども、Some Mother's Sonで、カスリーンはハンストで死に瀕している自分の息子を前に、家族として介入することを決断します。一方、アニーは、餓死してゆく息子のベッドサイドで、その最期を看取ります。

2006年のガーディアンのインタビューに応じている「元ハンガーストライカー」にも、家族の介入によって落命しなかった人々がいます。



テリー・ジョージ監督のSome Mother's SonのVHS、中古ならたぶん常に出ています。
0790731142Some Mother's Son
Helen Mirren, Fionnula Flanagan, Aidan Gillen, David O'Hara, Terry George
Turner Home Ent 1998-06-02

by G-Tools




posted by nofrills at 07:00 | TrackBack(0) | リパブリカンFAQ (IRA, INLA等) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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*参考書籍*

北アイルランド紛争についての英書

英語ではとても読みきれない(買いきれない、収納しきれない)ほどの本が出ていますが、筆者は特に下記の書籍を参照しています。
※画像にポインタを当てると簡単な解説が出ます。

031229416607475451970717135438
The IRA
Tim Pat Coogan
Loyalists
Peter Taylor
Killing Finucane
Justin O'Brien

北アイルランド紛争について、必読の日本語書籍
筆者はこのブログを書く前に、特にこれらの書籍で勉強させていただいています。

4621053159 4846000354
IRA(アイルランド共和国軍)―アイルランドのナショナリズム
アイルランド問題とは何か
鈴木 良平

北アイルランド紛争の歴史
堀越 智

IRA―アイルランドのナショナリズム(第4版増補)
鈴木良平

458836605X
暴力と和解のあいだ
尹 慧瑛
→「北アイルランド」での検索結果
→「Northern Ireland」での検索結果
* photo: a remixed version of "You are now entering Free Derry",
a CC photo by Hossam el-Hamalawy
http://flickr.com/photos/elhamalawy/2996370538/


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