現在進行中の事件などに関しては、本家およびはてなブックマークをご参照ください。

2009年03月02日

【リパブリカンFAQ 質問9】 1981年のハンストでの要求について。

【リパブリカンFAQ 回答9】

【リパブリカン質問7】に書いたように、声明文で彼らは、自分たちにとって正当な「政治犯としての待遇 (political status) を受ける権利を要求する」と述べています。また、これまでも4年以上にわたるブランケット・プロテストやダーティ・プロテスト(ノー・ウォッシュ・プロテスト)でそれを要求してきたがそれが受け入れられないので、国際世論を動かして英国政府にプレッシャーを加えたい、という内容のことも同じ声明文で述べられています。(これらについて詳細は【リパブリカン質問7】をご参照ください。

ではその「政治犯としての待遇 (political status)」とはどのようなものか、という点については、1976年にSpecial Category Status (→詳細は【リパブリカン質問7】を参照) が廃止された後の一連の流れから見なければなりません。別な言い方をすると、Special Category Statusの廃止後、ロングケッシュの囚人たちは一貫して同じことを要求してきた、ということです。

英語版ウィキペディアから:
http://en.wikipedia.org/wiki/1981_Irish_hunger_strike
#Blanket_and_dirty_protests


On 14 September 1976, newly convicted prisoner Kieran Nugent began the blanket protest, in which IRA and Irish National Liberation Army (INLA) prisoners refused to wear prison uniform and either went naked or fashioned garments from prison blankets. In 1978, after a number of attacks on prisoners leaving their cells to "slop out" (i.e., empty their chamber pots), this escalated into the dirty protest, where prisoners refused to wash and smeared the walls of their cells with excrement. These protests aimed to re-establish their political status by securing what were known as the "Five Demands":

1. The right not to wear a prison uniform;
2. The right not to do prison work;
3. The right of free association with other prisoners, and to organise educational and recreational pursuits;
4. The right to one visit, one letter and one parcel per week;
5. Full restoration of remission lost through the protest.

Initially, this protest did not attract a great deal of attention, and even the IRA regarded it as a side-issue compared to their armed campaign. It began to attract attention when Tomás Ó Fiaich, the Roman Catholic Archbishop of Armagh, visited the prison and condemned the conditions there. In 1979, former MP Bernadette McAliskey stood in the election for the European Parliament on a platform of support for the protesting prisoners, and won 5.9% of the vote across Northern Ireland, even though Sinn Féin had called for a boycott of this election. Shortly after this, the broad-based National H-Block/Armagh Committee was formed, on a platform of support for the "Five Demands", with McAliskey as its main spokesperson. The period leading up to the hunger strike saw a campaign of assassination carried out by both sides. The IRA shot and killed a number of prison officers; while loyalist paramilitaries shot and killed a number of activists in the National H-Block/Armagh Committee and badly injured McAliskey and her husband in an attempt on their lives.

1976年9月14日、新たに有罪となった囚人キアラン・ニュージェントが「ブランケット・プロテスト」を開始した。IRAとINLAの囚人が囚人服の着用を拒否し、裸のままでいるか、刑務所の毛布を服代わりにまとうかしたのである。1978年、房内の室内便器の中身を空けるために房を出た囚人に対する(看守の)暴行が何度も行なわれ、抗議行動は「ダティ・プロテスト」にエスカレートした。囚人たちは身体を洗うことを拒否し、房の壁に排泄物を塗りたくったのである。これらの抗議行動は、「5つの要求」として知られるものを通すことによって、囚人たちの政治犯としてのステータスを再度確立することを目的としていた。「5つの要求」とは下記の5点である。

1. 囚人服を着用しない権利
2. 刑務所作業をしない権利
3. 他の囚人と自由に交流する権利、教育およびレクリエーションを追求する活動を組織する権利
4. 1週間につき、面会1度、手紙1通、差し入れの小包1通の権利
5. 抗議行動によって失われた減刑期間の回復

当初、この抗議行動はあまり注目されず、IRAでさえも、武装活動に比べれば周辺的な問題であると見なしていた。これが関心を集め始めたのは、カトリック教会アーマー教区のTomas O Fiaich大司教が刑務所を訪問し、内部の状況を厳しく批判したときである(注:大司教はロングケッシュの様子について、「まるでカルカッタのスラムの土管」というような描写をした)。1979年にバーナデット・マカリスキー元英議会下院議員が欧州議会選挙に立候補したとき、彼女は抗議行動を行なっている囚人たちを支持する基盤で立ち、シンフェインがこの選挙をボイコットするよう呼びかけていたにもかかわらず、北アイルランド全体で5.9パーセントを得票した。このすぐ後に、マカリスキーを議長 (main spokesperson) として、広汎な基盤を有する「全国Hブロック/アーマー委員会 (National H-Block/Armagh Committee)」が結成された。委員会は「5つの要求」を支持していた。ハンガーストライクへと至る時期においては、(ロイヤリスト、リパブリカンの)双方による暗殺作戦が行なわれた。IRAは刑務所職員を多数射殺し、ロイヤリストの武装組織は全国Hブロック/アーマー委員会の活動家を多数射殺し、またマカリスキーとその夫の生命を狙って狙撃し、重傷を負わせた。


一部繰り返しになるが、2006年(ハンストから25年)に私が書いたものから。

2006年05月05日 On This Day: 05 May: 1981: Bobby Sands dies in prison
http://nofrills.seesaa.net/article/24632621.html
ところで、彼らは何を求めて、死ぬまでハンストしたのか。この点については、「北アイルランド問題」の根の深さと、リパブリカンのプロパガンダの強力さによってかなりわかりづらいことになってしまっているのだが、直接的には、「政治犯(もしくは戦争捕虜)としての待遇」である。具体的には次の5点が要求された。
1. The Right not to wear a prison uniform;
2. The Right not to do prison work;
3. The Right of free association with other prisoners;
4. The Right to organise their own educational and recreational facilities;
5. The Right to one visit, one letter and one parcel per week.


1980年3月26日、英国政府は同年4月1日から北アイルランドのパラミリタリー組織メンバーについての「特別ステータス」を全面廃止すると宣言した。(「特別ステータス」とは、彼らが有罪となった行為は政治的動機によるものと判断した上での、一般の刑法犯とは別の待遇のこと。つまり「政治犯としての待遇」である。)これは、70年代から始まった英国政府によるパラミリタリーのcriminalisation、すなわち彼らを「ただの犯罪者」として扱うようにするという動きの一環である。

IRAにせよINLAにせよ、当人たちとしては(自分自身の欲のための)「犯罪」をしているつもりはない。自分たちの行動は「政治的動機」によるものである、あるいは自分たちの戦いは「戦争」である、ゆえに「犯罪者」として扱われることはあってはならない、というのが彼らの主張であり理念であった。

……中略……

すでに1976年に「特別ステータス」は一部廃止されており(新たに有罪となったものについて「特別ステータス」を認めない)、そのときリパブリカンの囚人が獄中抗議を行なっている。一般の刑法犯と同じ囚人服を拒み、毛布をかけて過ごす――the Blanket Protestである。

……中略……

彼らはただ裸に毛布をかぶっただけではない。Dirty Protestとも呼ばれる抗議も行なわれるようになった。Dirtyとはつまり、風呂に入らない、髪を切らない、ヒゲをそらない、そして――排泄をトイレではなく独房(といっても2人部屋だが)で行なうのだが、その排泄物を窓やドアの監視窓から看守に投げつけた。窓がふさがれるとこんどは、独房の壁などに排泄物を塗りつけた。(ちなみにこれは、女性囚人の刑務所でも行なわれていた。女性には排泄物だけじゃなく経血もあるので、男性の刑務所よりさらにすさまじいことになっていたという。)

とても正気の沙汰とは思えないが、この行動には理由がある。囚人は房を出ると看守(screwと呼ばれる)から手ひどい暴行を受けることが日常茶飯事だった。いや、それが「手ひどい暴行」の範囲だったのかどうかも精査を要するような内容である。(トイレから出てくるたびに肛門や口に指をつっこまれ、何か隠していないかを調べられるなどしていた。もっと具体的には、過去記事参照。「アブ・グレイブ」が決して特異なケースではないことがよくわかると思う。)

彼らの「うんこ攻撃」のせいで刑務所のリパブリカンのウィングは看守もろくに寄り付けないほど衛生状態が悪化した(んな程度じゃ済まないが)が、同時にこれは当然「自爆」でもあり、囚人たちも健康を害した。刑務所側は消毒を行なうなどしたが、間に合うものではない。

同年夏、彼ら囚人の代弁者が欧州人権法廷に訴えたが、「勝手にやっていることだ(self-inflicted)」として、訴えは却下された。そして10月27日、メイズで第一回目のハンストが開始された。当初の参加者7人。

同年12月15日にはメイズおよびその他の刑務所で新たに23人がハンストに参加した。そのころには最初からハンストしていたショーン・マッケンナは死に瀕しており、他の6人も病院棟に送られていた。冒頭に引用したブレンダン・ヒューズが「自分の体が腐っていくのがわかる」といっているのは、この頃のことだ。

同月17日、カトリックの聖職者がハンストの停止を呼びかけ、18日には正式にハンストが中止された。開始から53日目のことだった。このときは、死者は出なかった。

(なお、ロイヤリストもこのときリパブリカンとは別にハンストを行なっていたという。「政治犯としての待遇の要求」は、セクタリアン・ディヴァイドを超えて、共有されていた。これは後に「政治犯の刑務所内での自治」につながっていく。)

1980年秋のハンストが死者なく終わったのは、英国政府が「譲歩した」からであった。リパブリカンとの秘密裏の交渉を経て、英国政府は、彼ら囚人たちに「civilian clothesの着用」を認めたのである。

翻訳や言語学の関係の人はここで何かに気づくかもしれない。

囚人たちが要求していたのは、「prison uniformを着ない権利」である。英国政府が認めたのは「civilian clothesの着用」である。相互に矛盾はない。しかし盲点がある。

囚人服の代わりに囚人たちが着用を許可されたのは、「私服 (their own clothes)」ではなく、「刑務所が支給する平服(civilian clothes)」であった。

『ホテル・ルワンダ』のテリー・ジョージ監督のフィクショナルな映画、Some Mother's Son(1996年)でのこのシーンがとてもわかりやすい。(この映画はDVDになっていないしVHSは廃盤だが、中古ソフトを扱っているアメリカのサイトで探せば、アメリカ版を中古で入手することができる。アメリカ版のVHSは日本で問題なく見ることができる。ただしもちろん字幕はない。)

映画の中で、ボビー・サンズら囚人たちは「要求が通った!」と喜ぶ。彼らの家族は刑務所に私服を差し入れようとする。しかし刑務所では私服の受け取りを拒否する。そして、看守から刑務所支給の(もちろん全員が同じ)服を手渡された囚人たちは怒りに震え、裸の上半身に再び毛布をまきつける。画面切り替わって、英国の役人が「私服とは言っていない、平服と言ったんだ、嘘はついていない」と得意げに語る。

……中略……

「平服の支給」と「二度とハンストをしないこと」をつきつけられたボビー・サンズらは、二度目のハンスト決行を決意、そして1981年3月1日、ボビー・サンズが食事を拒んで、ハンストが開始された。

ちなみに、これらのハンストのとき、刑務所の中(ボビー・サンズ)と外(IRAのアーミー・カウンシル)の調整役だったのが、現在のシン・フェイン党首、ジェリー・アダムズである。ハンストからいろいろと学んだアダムズの方針(ballot box and armalite:武装闘争だけではなく票の力も)は南(アイルランド共和国)のシン・フェイン指導部と徐々に離れるようになり、1980年代半ばにアダムズが党首となると同党の指導部は北アイルランドに移る。シン・フェイン/IRAの中でも武装闘争絶対主義みたいな人々は「共和主義シンフェイン党」に分派してゆく。そして1998年のGFAに至る「和平への道」が、徐々に開け始める。(って、これどう書いてもスタンスが偏るなあ……。)

……中略……

このハンストが終わったとき、囚人たちの要求は一部受け入れられた。最もシンボリックだった「私服の着用」は、その後認められるようになった。

The end of the hunger strike saw both sides claiming victory.

A few days later, Northern Ireland Secretary James Prior announced a number of jail policy changes which met some of the prisoners' demands - the right to wear their own clothes and the restoration of 50% of lost remission for those who obeyed prison rules for three months.

The general feeling among the republican community was that the hunger strikers had achieved what they set out to do, while the British government insisted they had not given in to republican demands.

http://news.bbc.co.uk/1/hi/northern_ireland/4941866.stm


これらは歴史の教科書に出てくる話ではない。1981年といえばSex Pistolsで英国でのパンク・ムーヴメントに火がついて数年後、ベルファスト出身のStiff Little Fingersが解散する前年、「最近やけにポップになった」とか言われてたような時期である。


posted by nofrills at 08:00 | TrackBack(0) | リパブリカンFAQ (IRA, INLA等) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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*参考書籍*

北アイルランド紛争についての英書

英語ではとても読みきれない(買いきれない、収納しきれない)ほどの本が出ていますが、筆者は特に下記の書籍を参照しています。
※画像にポインタを当てると簡単な解説が出ます。

031229416607475451970717135438
The IRA
Tim Pat Coogan
Loyalists
Peter Taylor
Killing Finucane
Justin O'Brien

北アイルランド紛争について、必読の日本語書籍
筆者はこのブログを書く前に、特にこれらの書籍で勉強させていただいています。

4621053159 4846000354
IRA(アイルランド共和国軍)―アイルランドのナショナリズム
アイルランド問題とは何か
鈴木 良平

北アイルランド紛争の歴史
堀越 智

IRA―アイルランドのナショナリズム(第4版増補)
鈴木良平

458836605X
暴力と和解のあいだ
尹 慧瑛
→「北アイルランド」での検索結果
→「Northern Ireland」での検索結果
* photo: a remixed version of "You are now entering Free Derry",
a CC photo by Hossam el-Hamalawy
http://flickr.com/photos/elhamalawy/2996370538/


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