![]() | Hunger [DVD] [2008] Liam Cunningham Larry Cowan Pathe Video 2009-02-23 by G-Tools |
この映画については本家のエントリ(下記URLで記事一覧)をご参照ください。特に、2008年10月に東京国際映画祭で上映されたのを見たあとのエントリ(ただしネタバレ)。
http://nofrills.seesaa.net/tag/hunger
この映画についてのリンク集:
http://www.imdb.com/title/tt0986233/
http://en.wikipedia.org/wiki/Hunger_(2008_film)
http://en.wikipedia.org/wiki/Steve_McQueen_(artist)
http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Fassbender
トレイラー@YouTube(配給会社がアップしたもの):
http://www.youtube.com/watch?v=KUeXTA44ZFo
http://nofrills.seesaa.net/article/108447691.html
から少し(「ネタバレ」にならないと思われる範囲で)。
非常に限られた範囲のことしか明示していないのに、何とも多面的な映画だった。
『Hunger』はとにかくディテールに満ち溢れていた。当時のロング・ケッシュ(メイズ)刑務所を語る「言葉」を――そのいくつかは私も読んでいるが――映像化する映画だった。「言葉」に「身体」や「物体」を与え、光と影と音で伝える映画だった。面会での文書の受け渡し(小さく折り畳んだ伝言の紙を、口の中や鼻の中に入れて持ち運び、キスなどの身体的接触で受け渡しする)、それを阻止するために行なわれる面会者の身体検査、Hブロックでの看守による暴行、肛門検査(男性刑務所でああなら女性刑務所は……)、「ブランケット・マン」と「ダーティ・プロテスト(ノー・ウォッシュ・プロテスト)」、飲食を拒みやせ衰えていくサンズの枕元、というか鼻先に毎日事務的に置かれる、ほかほかのスクランブルエッグやら野菜サラダやら……(サンズの日記に、看守が嫌がらせのために鼻先に食べ物を置いていくが食うわけがないとかいった記述がある)。「ダーティ・プロテスト」中の房内のそこかしこにころころしている蛆虫。看守が家で食べる朝ごはんのパンくず。恋人の下半身に隠されて房内に持ち込まれた超小型のラジオ受信機。ボビー・サンズの聖書(タバコの巻紙として)。看守の着ける黄色いゴム手袋。
これらが、「主張」としてではなく「描写」として、ほとんど「淡々と」と言ってよいくらいに、次々と画面に映し出される。
映画が使っている「言葉」は極めて少なかったが、「少なすぎる」という感じでもなかった。アート系フィルムにありがちな「言葉の否定」でもなかった。むしろ、この映画での言葉の使用法は、かなり洗練されていた。看守の更衣室での下世話な噂話、二人一室の房内でのやり取り(ゲール語が理解できない新入り)、ラジオが伝えるニュースとサッチャーのスピーチ、面会室での家族や恋人とのやり取り……そして、例の「17分間の長回し」のシーンでの言葉の奔流。
言葉は控えめだったが、音はすごかった。冒頭、Film Fourのロゴやら何やらが出た後に黒い画面に重なる不快な金属音は、カトリック地域で、女性たちが「警察が来てるよ」といった合図のために路面にゴミ箱のフタを打ちつける音(これは映像で説明されるが、言葉では説明されない。後続の状況も生じない)。Hブロックの房の金網で手をすり足をすりしている一匹の蝿の羽音。そして、映画の中心が「ボビー・サンズのハンスト」に移行すると、どんどん「無音化」していく。サンズの呼吸の音が前景に出てくる。最後に、この映画で唯一使われている楽器、ハーディ・ガーディの音楽(デイヴィッド・ホルムズによる)。
映画はロング・ケッシュの中にいる何人かの人物の視点を順繰りに中心にしながら進んでいく。……略……
最初の「視点」となるのは、40歳くらいの看守だ(演じているのは、『眠れる野獣』でカイル役だったステュワート・グレイアム)。彼の自宅は小高い丘に広がる住宅街の赤レンガのテラストハウス。決して「ミドルクラス」ではない住宅街。道路に面する窓にはレースのカーテンがかかっていて、出勤前に彼が車の下をチェックする……略……
雪の舞う中庭で、たった一人、立ったままタバコをくゆらせる彼の拳の傷に、ひとひらの雪が舞い降りる。
……略……
この看守は、言葉らしい言葉を発さない。……略……
神経の細かい人なのだろう。北アイルランドでなければ、裸の囚人を殴りつけるなどということは、していなかっただろう。……略……
この看守はフィクショナルなキャラクターだ。でも同じようなことになった人は実在していただろう。「北アイルランド紛争」で殺された刑務所職員 (prison officer) は24人。ちょうど25年前の大脱走のときに刺された挙句に心臓麻痺を起こして死んだ人もいるが、多くはヒットリストに載せられた上で殺されている。
次に「映画の視点」となるのは、「ギレン Gillen」という名字の新入りだ(→プレス写真)。彼はまだ若いが、Hブロックに到着するなり囚人服の着用を拒否する宣言をし(おそらくIRAの「義勇兵」が暗記していた/暗記させられていたもの)、看守の責任者らしき人物のノートに「反抗的 non-cooperative」と書かれてしまう。そして無言の看守の「じゃあやることはわかってるだろう」という目にさらされながら、その場で着ているものをすべて、パンツまで脱いで、そして毛布を放り投げられ、次のカットでは頭皮から血をにじませて、ダーティ・プロテスト用の房に放り込まれる。
その房にはジェリー・キャンペル Gerry Campell という囚人が既に入っている。伸びた髪などを見れば、彼がここに長くいることは一目瞭然で、房内の壁には既に彼の汚物が塗りたくられている。(それが「汚物」であることは、映画の前の方で、看守が出勤するときに車内で聞いているラジオのニュースで説明される。)
ジェリーは新入りに「お前、ギレンっていうのか、どこの出だ、じゃあ誰それは知ってるか」というようなことを尋ねる。でもこの新入りはIRAでも新入りだったのか、ジェリーとの会話が続かない。ジェリーが「号令」で使うゲール語(アイルランド語)も理解できない。成立するのは、「お前、何年だ」、「6年」、「ラッキーだな、俺は12 年だ」といったやり取り程度だ。(「6年」は銃器所持とかそんな感じで、「12年」は爆発共謀とかそんな感じだろうか。)
汚物が塗りたくられた壁に囲まれ、蛆がもぞもぞしている房内で支給されるメシを食い、ろくに話をする相手もなく、彼は、……略……
彼には「台詞」はないから、彼がどんな人で何をどう感じているかはすべて観客の解釈に委ねられる。基本的には、彼はHブロックでの「看守による囚人への暴力」を具体的に示すために――「暴力」に「身体」を与えるために、この映画の「視点」としての役割を与えられている。
そして、この新入りもさらされる「暴力」を受ける別の囚人として、ボビー・サンズが出てくる(彼はこれより前の面会室のシーンでも、赤ん坊を抱いて目を細めている――そして赤ん坊の服の中に入れられた連絡文書を受け取っている)。
彼がものすごい抵抗をしながら廊下を引きずられてゆき(このシーンでの「長髪に白い腰布」の彼は、図像としては明らかにイエス・キリストだ。ほかにもサンズにキリストの図像が重ねられているシーンは私でもいくつか気付いた。ピエタとか、わき腹の傷とか、背中の傷とか)、鋏が頭皮をえぐるのもお構いなしの看守によって長く伸びた髪と髭を強制的に刈られると(ここの鋏の音がすごい)、映画でサンズを演じている(というか、サンズになっている)ミヒャエル・ファスビンダー(英語読みでマイケル・ファスベンダー)の顔が現れる。サンズはバスタブに放り込まれて顔を水に沈められ、柄のついたブラシでごしごしと身体をこすられる。床掃除にでも使うようなブラシかもしれない。
……略……
汚物が塗りたくられた房内に清掃の人が来る。衛生状態が劣悪なので、毒物処理みたいな完全防備の服装だ……略……
こうして房が掃除され、映画では、「囚人たちの要求の一部が受け入れられる」シーンが続く。これは1980年秋のハンスト(1916年蜂起での「共和国宣言」署名者と同じ7人に揃えたため、サンズは参加していない)の後のことだ。
「受け入れられた」要求とは、彼らの「5つの要求」のひとつ、"The Right not to wear a prison uniform" だった。しかしこれは――2006年に私が書いたものから抜粋:囚人たちが要求していたのは、「prison uniformを着ない権利」である。英国政府が認めたのは「civilian clothesの着用」である。相互に矛盾はない。しかし盲点がある。
囚人服の代わりに囚人たちが着用を許可されたのは、「私服 (their own clothes)」ではなく、「刑務所が支給する平服(civilian clothes)」であった。
『ホテル・ルワンダ』のテリー・ジョージ監督のフィクショナルな映画、Some Mother's Son(1996年)でのこのシーンがとてもわかりやすい。……
映画の中で、ボビー・サンズら囚人たちは「要求が通った!」と喜ぶ。彼らの家族は刑務所に私服を差し入れようとする。しかし刑務所では私服の受け取りを拒否する。そして、看守から刑務所支給の(もちろん全員が同じ)服を手渡された囚人たちは怒りに震え、裸の上半身に再び毛布をまきつける。画面切り替わって、英国の役人が「私服とは言っていない、平服と言ったんだ、嘘はついていない」と得意げに語る。
http://ch00917.kitaguni.tv/e256723.html
「英国らしい」ヘリクツだが、これは『Hunger』の中では言語では明示されない。「支給された平服」が房の中のベッドに並べられ、相変わらずブランケットを巻きつけただけのサンズや新入りのギレンたちがそれぞれの房で絶望したように座りこみ、そして怒りのあまり、房の中をめちゃくちゃにする。このシーンの「白い壁」の凄み。
そして機動隊がロングケッシュに派遣され、廊下に並んだ隊員たちが透明のアクリル板の楯を打ち鳴らす(冒頭の、「ゴミ箱の蓋」とのパラレル)。看守のひとりが黄色いゴム手袋をし、裸の囚人たちは看守の激しい暴力を受けながら、屈辱的な肛門検査を強制される。
このときに刑務所に投入される機動隊のひとりが、5月のカンヌ国際映画祭のときに書いたエントリでも少し触れたこの若い男性だ。彼のバックグラウンドは映画では示されない。名前も示されない。台詞らしい台詞もない。たぶん、彼は「反抗的囚人」のIRAのギレンのパラレルだろう、「現場は初めて」みたいな若い隊員だ。……略……
いずれにせよ注目されるのは、射殺された看守も、新入りIRAのギレンも、この隊員もみな――つまり「体制側」も「反体制側」も、「人間」として丁寧に、なおかつ淡々と描かれている、ということだ。
「平服」騒動での英国(というかサッチャー政権)のあまりになめくさった態度によって、ついに1981年3月1日のハンスト開始が決断される。結果的に10人が餓死し、ほかに13人が食を断ったこのハンストは、サンズによって計画・指揮されたものだ。神父との面会でサンズがその決断を語るシーンが、例の「17分ワンカット」だ。
先日ここで言及したレビューを書いた人はこのシーンはあまり好きではなかったようだが、私は引き込まれた。17分もあったか?という感じ。
少し古い言い方をすると「圧倒的な映像美」ってやつだ。ああいうふうに引いたカメラで、窓からの明るい光とタバコの煙と2人の横からのシルエットに、この映画で初めてまともに出てくる「会話」で描写される「ボビー・サンズの狂気」。「狂気」といってもそれはmadnessではなく、fanaticismである。しかもそれには「身体」が与えられている。面会用にズボンだけは履いているが上半身は裸のサンズの腹部が、窓からの光に照らされて、白い輪郭線が彼が言葉を発するたびに動く。「身体」を与えられた「言葉」、「言葉」を与えられた「思想」もしくは「狂信/狂気」……IRAのphysical forceそのもの。
……略……
サンズの演説は続く。前回(1980年秋)は一斉に何人もがハンストに入ったが、今度は2週間ごとに一人ずつハンストに入り、長期戦を行なう作戦だ、志願者には困らない、だから成功する、と。神父は「そんなことをしたらこうなる」ということを立て続けに指摘する。論争が続く。4年半もの間、看守からの暴力にさらされ、自らの糞尿で抗議をしてきた彼について、神父は「あまりに長い時間、inhumaneなものにさらされてきたことによって、君の考え方はおかしくなっている」と指摘する。神父の言葉のいくつかに、サンズの感情は揺らいでいるが、サンズの決意は揺るがない。ああいえばこういう、という状態だ。そして、神父の口からついに「自殺 suicide」という言葉が出たときに、サンズは感情的に反駁する――「自殺だって? それは立場を変えれば殺人だ」。
……略……
「殉教者になりたいのか」という神父に、サンズは即座に「ノー」と答える。しかしその後で、「ジーザス・クライストが自分たちのバックボーンだ」と彼は言う。何を言っているのか、もちろん北アイルランド弁が聞き取れないせいもあるし、キリスト教というものがわかっていないせいもあるのだけれども、私にはほんとにわからない。この映画の作り手は、明らかに非常に意図的に、サンズとイエス・キリストを重ねているというのに。私は混乱する。神父は何度かstupidという言葉を口にした。
ここでようやく「17分ワンカット」が終わり、サンズと神父の顔が交互にクローズアップになる。マイケル・ファスベンダーの目の強さ。
神父が去ろうとするとき、彼が持ってきたタバコをサンズは「置いていってくれ」と要求する。神父はタバコの箱をテーブルの上を滑らせてサンズに渡す。そして、サンズは、「聖書を(巻紙に使って)燃やされるよりいいだろ?」と言う。これが、この20分ほどの「神父とサンズ」のシークエンスのサンズで、唯一、「人間」がしゃべっていると思ったところだ。
そして1981年3月1日、サンズのハンストが開始される。この日付には意味があるのだが、そのことは映画では語られない(と思う。神父との会話で言及されていたかもしれない)。(その5年前の1976年3月1日、政治犯のスペシャル・カテゴリーのステータスが廃止となった。)
食を拒み、自力で動くこともできず、ベッドの上でただやせ衰えていく彼の「身体」の執拗な描写がなされる。(このために、マイケル・ファスベンダーは医師の監督のもと、摂取カロリーを1日600キロカロリーにしてガリガリに痩せた。)浮かび上がった肋骨、床ずれといった外見的な変化や、聴覚や視覚が失われていくさまが、映画として(解説なしで)表現される。言葉で説明されるのは、「ハンストをするとどうなるか」ということについての医師の説明だけだ――81年ハンストの生還者が語っていたのだが、脂肪や筋肉が生命維持のためのエネルギーとして使い果たされたあとは、内臓や脳が徐々に「食われて」いく。身体が中から崩壊していく。映画はそれを、時間をかけてゆっくりと、描写している。
……略……
ボビー・サンズが獄中から英下院議員に立候補して当選したことや、サンズのあとさらに9人が1981年のハンストで死んだことなどは、映画の本編が終わって画面が暗転したところで、文字で表示される。そしてハンストの後で、「誇り」高い英国政府が、いろいろと言い訳と言い換えをしながら、「我々はIRAに屈したのではない」という体裁を崩すことなく、実質的には彼らの要求を受け入れた、ということも、短く皮肉な文で、画面上で説明される。