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2009年03月01日

【リパブリカンFAQ 質問7】 1981年のハンガーストライキの背景は。

【リパブリカンFAQ 回答7】

1981年3月1日、北アイルランドのメイズ刑務所(旧称ロングケッシュ)で、リパブリカンの囚人によるハンガーストライキが開始されました。

アイリッシュ・リパブリカニズムとハンストという手段にはずっと前からの歴史があり、その歴史について触れることなく1981年のハンストだけを取り上げることは実はあまりよいことではないと思うのですが、とりあえずは1981年のハンストについて、ごく基本的なことを、なるべく一次資料を参照しながら簡単にまとめておきます。

まず、1981年のハンスト開始時の声明文を参照します。

「1981年3月1日、第二次ハンガーストライキの開始に際しての声明文」
1 MARCH 1981 STATEMENT AT START OF SECOND HUNGER STRIKE
http://larkspirit.com/hungerstrikes/81statement_start.html
http://web.archive.org/web/20090113061146/http://larkspirit.com/hungerstrikes/81statement_start.html
このような声明文ではどういう語が用いられているかといったことも重要な要素のひとつになります。その点に注目して読んでみてください。まず最初に気付かれると思いますが、声明文を出した側は、自らのことを "POWs" と位置付けています。つまり prisoners of war (戦争捕虜)です。(言うまでもないことですが、「戦争捕虜」はジュネーヴ条約で基本的な権利が保障されます。)

彼らが自分たちのしていることを「戦争」と位置付けていたということ、そして、実際には「戦争捕虜」として扱われていなかったということが「問題」の根本にあります。

声明文の書き出しで、「われわれ、ロングケッシュのHブロックにいるリパブリカンの戦争捕虜、およびアーマー刑務所(注:女性刑務所)の同志たちは、政治犯としての待遇 (political status) を受ける権利を有し、したがってそれを要求する」と彼らは書いています。

その後続の部分で、彼らに与えられているのが「政治犯としての待遇 (political status)」ではない、という現状が説明されます。「英国政府はわれわれのことを、われわれの闘争 (struggle) のことを犯罪としようとしてきた (criminalisation)。われわれはそれを、ブランケット・プロテストが開始された1976年9月14日以降、毎日、常に拒否してきたように、こんにちも拒否する」。

「ブランケット・プロテスト」とは、投獄されたときに支給される囚人服を着ることを拒むと裸で房に入れられるので、毛布を肩にかけて過ごしていたことをいいます。ウィキペディア英語版に詳しく書かれています。また、ウィキペディア英語版には、「ブランケット・プロテスト」を描いたデリーの壁画の写真もあります。ロングケッシュの男性と、アーマーの女性がひとりずつ描かれています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Blanket_protest

ブランケット・プロテストの前、空軍施設の跡地であるロングケッシュでは、かつて使用されていたままのカマボコ型の建物(ニッセンハット)が収容施設として利用され、拘束された人々がわりと自由に(完全な自由ではもちろんないのだけれど)行動していました。しかし1970年代、普通の刑事犯が服役する刑務所と同じような、房で構成されるコンクリート製の建物が建設され(その建物がH型だったので「Hブロック」と呼ばれます)、拘束された人々はHブロックに収監され、「囚人」として扱われる、ということになりました。それまで私服でいられたリパブリカンが、一般の刑法犯と同様に房に入れられ、囚人服を着せられ、刑務所の作業をしなければならなくなるというのは、自らを「戦争捕虜」として位置付ける彼らにとってはまったく受け入れられないことでした。そこでそれに対する抗議として、「ブランケット・プロテスト」が開始されたのです。

少しわき道にそれますが、「ブランケット・プロテスト」開始時(1976年3月1日)に廃止された「スペシャル・カテゴリー・ステータス (Special Category Status)」について見ておきましょう。

http://en.wikipedia.org/wiki/Special_Category_Status
In July 1972, William Whitelaw, the British government's Secretary of State for Northern Ireland, granted Special Category Status to all prisoners convicted of scheduled terrorist crimes. This had been one of the conditions set by the Provisional IRA when they negotiated a meeting with the British Government to discuss a truce, another being the release of Gerry Adams from internment.


ウィリアム・ホワイトローは、1972年に当時の北アイルランド自治政府が廃止されウエストミンスターの直轄統治になったときからの北アイルランド担当大臣(テッド・ヒース保守党政権)です。当時の保守党政権は「IRAとの対話」という路線をとっていて、1973年12月にはサニングデール合意が成立します(が、これは北アイルランドのユニオニスト&ロイヤリストのものすごい反対にあってポシャります)。

その保守党政権のホワイトローとProvisional IRAの代表団が話し合ったときに、ロングケッシュから身柄を解放されたジェリー・アダムズが「IRAの代表団」に加わっていた、という事実は、現在もなお、事態をややこしくさせるだけのようなので、ここでは措いておきます。ともあれ、このような英国政府とIRAとの接触のなかで、「スペシャル・カテゴリー・ステータス」というものができました。

これは「戦争捕虜」にするわけにはいかないが、事実上そういう扱いをしようというものでした。「スペシャル・カテゴリー・ステータス」の囚人たち、つまり政治的意図を有する武装組織のメンバーたちは、囚人服を着ることや刑務所作業に従事することをまぬかれ、また収容される建物も所属組織ごとにまとめられ、面会や差し入れの回数なども増やされました。

この時期のロングケッシュ内部で撮影された写真が数点、「ボビー・サンズ・トラスト」のサイトにアップされています。下記URLの最初の列です。カマボコ型の建物の前で、ジェリー・アダムズ、ブレンダン・ヒューズ、ボビー・サンズといったリパブリカンが並んでカメラに向かって微笑んでいる様子は、まるで「ツアー中のバンドとクルーの集合写真」のようです。
http://www.bobbysandstrust.com/multimedia/photos

「スペシャル・カテゴリー・ステータス」導入につながったものとして、1972年につぶれた(つぶされた)北アイルランド自治政府が無理やり導入した「インターンメント (internment)」という一斉拘留政策がありました。インターンメントは、疑わしい者は証拠もなく拘束し、裁判を受けさせることもせずにロングケッシュなどの施設に入れておく、という強制収容で、被収容者には拷問なども実施されました。(アブグレイブとかバグラムとかグアンタナモとかがある時代には驚きではないかもしれませんが、これは基本的人権の侵害以外の何ものでもありません。)ジェリー・アダムズもインターンメントを経験しています。北アイルランド自治政府がつぶれたあともしばらく、この強制収容は続けられていたのですが、このような「有無を言わさぬ弾圧」は、政府にとってはマイナスの作用しかもたらしませんでした。「インターンメントという人権侵害に反対する連帯」は、アイリッシュ・リパブリカニズムを弱めるのではなく強化しました。

「スペシャル・カテゴリー・ステータス」が導入されて何年もしないうちに、1974年の総選挙で労働党が勝利し政権が交替。労働党政権はこのステータスを遠慮なく見直していきます。その背景には、ロングケッシュの中がかなりすごいことになってきた(破壊されたり燃やされたり)ということがあるのですが、ともあれ、1975年には政府の委員会によってステータスの撤廃が勧告され、ウィルソン政権の北アイルランド担当大臣だたマーリン・リーズによって、1976年3月1日にスペシャル・カテゴリー・ステータスを段階的に廃止するとの宣言がなされます。

このときのことを、1981年ハンストの開始声明文は、次のように書いています。
Five years ago this day, the British government declared that anyone arrested and convicted after March 1st, 1976, was to be treated as a criminal and no longer as a political prisoner. Five years later we are still able to declare that that criminalisation policy, which we have resisted and suffered, has failed.

If a British government experienced such a long and persistent resistance to a domestic policy in England, then that policy would almost certainly be changed. But not so in Ireland where its traditional racist attitude blinds its judgement to reason and persuasion.

ちょうど5年前、英国政府は、1976年3月1日以降に逮捕され有罪となった者については犯罪者として扱い、政治犯として扱うことはしない、と宣言した。それから5年経過したが、われわれは今もまだ、われわれが抵抗しながらも受け続けてきたこの犯罪者化政策は、失敗である、とはっきりと言い切ることができる。

もしも英国政府が、イングランドで内政的政策についてこのように長く粘り強い抵抗を経験したら、その政策はほぼ確実に変更されるであろう。しかしながらアイルランドではそうではない。英国政府の昔からの人種差別的な態度によって、理性的判断や説得ができないのである。


「犯罪者化は失敗だ」というのは、第一義的には、囚人服を着るくらいなら毛布で過ごす、という形の「ブランケット・プロテスト」を行なってきた囚人たちは、犯罪者としての処遇を受け入れていないということです。(実際には、ロングケッシュの中ではブランケット・プロテストだけでなく、ダーティ・プロテストも行なわれていたし、1980年10月には第一次のハンストが行なわれているのですが、それについてはまた改めて。)

声明文は、その次のパラグラフで、「ハンガーストライキ」という手段をとることについて、次のように説明しています。

Only the loud voice of the Irish people and world opinion can bring them to their senses and only a hunger strike, where lives are laid down as proof of the strength of our political convictions, can rally such opinion, and present the British with the problem that, far from criminalising the cause of lreland, their intransigence is actually bringing popular attention to that cause.

アイルランド人の大きな声、そして世界の世論の大きな声だけが、英国政府に正常な判断力を取り戻させることができる。そして、われわれの政治的信念の強さを如実に示すものとして生命が賭けられるハンガーストライキだけが、そのような世論を集めることができ、英国人に対し、彼らの妥協のなさは、アイルランドの大義を犯罪とするどころか、アイルランドの大義への広汎な注目を引き起こしているのだ、という問題に気付かせることができるのである。


上に引いたパラグラフの最後の部分は、ロングケッシュ内部のIRAメンバー、特に当時ロングケッシュIRAのOC (Officer Commanding) だったボビー・サンズの考えです。

ハンスト決行を決意したサンズとIRAの最高指導部との間で、刑務所への面会者が極秘に持ち込んだ文書を介して方針が話し合われたときに、IRA指導部(そしてシン・フェインも)はサンズの決意に強く反対していました。その作戦が成功するとの見込みがなかったからです。

それでも、サンズはハンストを行ないます。彼の後に22人が続いてハンストに入ります。

サンズは66日後の5月5日に死亡、27歳でした。彼の後にハンスト入りした人々のうち9人も次々と死亡しました。

ハンスト入りしてからしばらく、3月17日まで、ボビー・サンズはこっそりと日記を書いていました。彼の考えと決意と、ロングケッシュのひどい日常(看守による嫌がらせや暴力)が、時にユーモラスに綴られています。下記で全文を読むことができます。
http://larkspirit.com/hungerstrikes/diary.html

3月1日の日記を、抄訳します。
3月1日、日曜日

私はまた別の揺れる世界の入り口に立っている。神よ、私の魂に御慈悲を賜らんことを。

私は母の胸を打ち砕いた。私の家は耐え難いような不安に一撃された。それを知っているから、私の胸もひどく痛む。しかし、私はすべての議論を検討し、今となっては避けようがなくなってしまったことを避けようと、あらゆる手を尽くしてきたのだ。これは私に、そして同志たちに科されたことだ、4年半にもわたる過酷な残虐行為によって。

私は政治囚である。私は、抑圧されたアイルランド人と、私たちの土地から撤退することを拒否している外国の、圧制的な、望まれていない体制との間で戦われている長期戦の犠牲者である。それゆえに、私は政治囚である。

私は、神から与えられたアイルランド民族の主権を有した独立の権利を、そしてすべてのアイルランド人が武装革命のこの権利を行使する権利を信ずる。それを固守する。だからこそ私は、裸で拷問を受けながら獄中に身を置いているのだ。

苦悶に満ちた私の精神の中で真っ先に思い浮かべられるのは、外国の、抑圧的な英国の存在が消されるまでは、アイルランドには決して平和は訪れ得ない、という考えである。そうしてアイルランドの人々がひとつのまとまりとして、自分たちに関することをコントロールでき、精神的にも身体的にも自由に、また物理的、文化的、経済的に(英国とは)離れて別個に、自分たちの運命を主権を有した国民として決定できるようになるまでは。

……中略……

(日曜の)ミサは厳粛なものだった。みんなはいつも以上に元気だった。昨晩は法律で定められた週に一度の果物を食べた。何という運命か、オレンジだった。そしてまたえらく皮肉なことに、苦かった。食べ物がドア口のところにおいてある。私の分は、予想通り、いつもよりずっと盛りがいい。同じ房にいるMalachyの食事よりもずっと盛りがいい。


このハンストについては、また改めて書いていきます。



【資料集】
■The Irish Hungerstrikes - A Commemorative Project
http://larkspirit.com/hungerstrikes/index.html
※1996年(ハンストから15年目)にアップロードされたハンスト資料集のサイト。非常に充実しています。

■「1981年のIRAハンスト」について、基本的な説明:
http://en.wikipedia.org/wiki/1981_Irish_hunger_strike
http://en.wikipedia.org/wiki/Dirty_protest
http://en.wikipedia.org/wiki/Blanket_protest
※出来事の順番としては、Blanket protest→Dirty protest→1980 hunger strike→1981 hunger strikeです。

■「1981年のIRAハンスト」について、アルスター大学紛争データベース(CAIN)の目次:
http://cain.ulst.ac.uk/events/hstrike/hstrike.htm

■「1981年のIRAハンスト」について、当時のポスターの例:
http://cain.ulst.ac.uk/images/posters/hstrike/index.html

■ボビー・サンズ:
http://en.wikipedia.org/wiki/Bobby_Sands
http://www.irishhungerstrike.com/bobbyswriting.htm
http://www.bobbysandstrust.com/



2012年2月19日更新:
まさかLarkSpirit.comがなくなってるなんて! というわけでリンクをWeb Archiveのものにサシカエ。

LarkSpirit.comは、1996年3月1日にスタート(ボビー・サンズのハンスト入りからぴったり15年の日)、その後、「81年ハンストから20周年」の区切りの年(2001年)に大量に出現したハンスト関連のサイトが徐々に消えてしまっているのでアーカイヴ化を進めようと宣言していたのですが、Web Archiveを見ると、私がこのエントリを書いた直後、2009年3月には既に「サイト・リニューアルのお知らせ」が出され、その後、そのまま消えてます(今はエラーメッセージが表示されるか、404になる)。トップページのWeb Archiveは下記。
http://web.archive.org/web/20090123052954/http://larkspirit.com/hungerstrikes/

ちなみに、Lark Spiritというサイト名の出典はボビー・サンズですよ。サンズという人物や81年ハンストについて語っちゃうような人なら、知らない人はいないと思いますが……。
http://www.eirefirst.com/archive/lark.htm

あと、81年ハンストについては、2009年にこのエントリを書いてアップしてから現在(2012年)までに「30年ルール」での政府の機密文書の機密指定解除&公開などにより、新たに多くの情報が入手可能となっています。また、当事者(ハンスト参加者)が存命中である間に(もしくは「存命中であるにもかかわらず」)、「真相究明」も進められています。いつまでも昔の「シン・フェインの語り」をひっぱってないで、知識をリニューアルしてください。

「30年ルール」で1981年の英政府文書が開示されたときの私のブログ:
http://nofrills.seesaa.net/article/243395625.html
※このあとも毎年、12月30日に同様の「まとめ」を書いています。

「真相究明」はこちら。反アダムズ&モリソンのスタンスでの活動なので、書かれていることについては慎重さが必要です(その機微がわからない人は、分析記事などは読まず、生の資料だけ見てたほうがいいです)。
http://www.longkesh.info/
posted by nofrills at 23:00 | TrackBack(0) | リパブリカンFAQ (IRA, INLA等) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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*参考書籍*

北アイルランド紛争についての英書

英語ではとても読みきれない(買いきれない、収納しきれない)ほどの本が出ていますが、筆者は特に下記の書籍を参照しています。
※画像にポインタを当てると簡単な解説が出ます。

031229416607475451970717135438
The IRA
Tim Pat Coogan
Loyalists
Peter Taylor
Killing Finucane
Justin O'Brien

北アイルランド紛争について、必読の日本語書籍
筆者はこのブログを書く前に、特にこれらの書籍で勉強させていただいています。

4621053159 4846000354
IRA(アイルランド共和国軍)―アイルランドのナショナリズム
アイルランド問題とは何か
鈴木 良平

北アイルランド紛争の歴史
堀越 智

IRA―アイルランドのナショナリズム(第4版増補)
鈴木良平

458836605X
暴力と和解のあいだ
尹 慧瑛
→「北アイルランド」での検索結果
→「Northern Ireland」での検索結果
* photo: a remixed version of "You are now entering Free Derry",
a CC photo by Hossam el-Hamalawy
http://flickr.com/photos/elhamalawy/2996370538/


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