現在進行中の事件などに関しては、本家およびはてなブックマークをご参照ください。

2008年12月23日

【事件・人 質問1】 ハロッズ爆弾事件とは。

【事件・人 回答1】
1983年12月17日土曜日の昼過ぎ、クリスマス・プレゼントの買い物客で賑わうロンドン西部の高級百貨店「ハロッズ」の脇に停められていた車が爆発、一般人のほか警官やジャーナリストを含む6人が死亡、90人あまりが負傷しました。Provisional IRAの爆弾攻撃でした。

80年代はイングランド、特にロンドンで何度もIRAの爆弾攻撃が行なわれています。この事件もそのひとつですが、「クリスマス前の買い物」という点でいっそうショッキングなものとして受け止められました。

※左の画像は、新聞スタンドに立てられた「今日のトップニュース」のボード。「ハロッズ爆弾――私たちが忘れることのない日」。

■参照記事:
ウィキペディア:
http://en.wikipedia.org/wiki/Harrods_bombing

CAINデータベース:
http://cain.ulst.ac.uk/othelem/chron/ch83.htm#Dec
http://cain.ulst.ac.uk/sutton/chron/1983.html

当時の報道:
BBC ON THIS DAY: 17 December 1983: Harrods bomb blast kills six
http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/december/17/newsid_2538000/2538147.stm
爆発直後の現場の様子の映像、現場に居合わせた人のインタビューも。また、ハロッズの後に爆弾予告電話がなされたオクスフォード・ストリートの封鎖の様子も(ただしこちらは偽の予告電話)。

事件後、レーガン米大統領からサッチャー英首相への書簡:
http://www.margaretthatcher.org/archive/displaydocument.asp?docid=109279

以下、2007年12月に本館に書いたものの転記(加筆などあり):
http://nofrills.seesaa.net/article/73366651.html

1983年12月17日土曜日、12時44分、ロンドンにある「サマリタンズ」(「いのちの電話」のようなボランティア団体)のオフィスの電話が鳴った。電話はアイリッシュ・アクセントの男の声でIRAのコードワードを使い、「ハロッズ店内に爆弾を仕掛けた。それから、脇に停めてある車、ナンバーはなんとかかんとか、この車に爆弾が仕掛けてある」という内容を告げた。

ハロッズといえば最も有名な百貨店である。クリスマス前の最後の週末、買い物客でいつも以上に賑わっている。

IRAはお約束どおり40分前に警告電話を行なってはいた。予告電話で告げた車のナンバーも合っていた。しかし、爆弾を仕掛けた場所についての情報が不正確だった。

警察犬を連れた警官のチームが当該の車に近づいたとき、爆発が起きた。事件直後は「リモート・コントロールで爆破」との説もあったが、後に時限装置だったことが判明した。

車に積まれていた25から30ポンド(およそ15キロ)の爆発物はすさまじい爆風を引き起こし、窓ガラスは粉々に砕けた。警官2人と一般市民3人(うち一人はアメリカ人)がほどなく死亡し、24日にさらに警官1人が死亡した。負傷者は90人以上(91人とも93人とも)。中には脚を切断し手を失った警官もいる。

ハロッズは爆破の3日後には営業を再開したそうだ。何よりもまず、「テロに屈さない」という意思表示だっただろう。

亡くなった人たち:
Philip Geddes (journalist, 24)
オクスフォード大卒のジャーナリスト。たまたま現場に居合わせて、警察が退避命令を出したので取材せねばと残って犠牲となった。事件後、彼を記念する賞が同大学に設けられた。

Kenneth Salvesen (28)
アメリカのシカゴから来たビジネスマン

Jasmine Cochrane-Patrick (25)

Noel Lane (28)
警官。

Jane Arbuthnot (22)
警官。

Stephen Dodd (34)
警官。24日に亡くなった。

事件翌日の18日、当時ダブリンにあったIRA本部から声明が出された。
http://www.guardian.co.uk/fromthearchive/story/0,,1376054,00.html
"The Irish Republican Army have been operational in Britain throughout last week. Our volunteers planted the bomb outside Woolwich barracks and in the car outside Harrods store. The Harrods operation was not authorised by the Irish Republican Army. We have taken immediate steps to ensure that there will be no repetition of this type of operation again. The volunteers involved gave a 40 minutes specific warning, which should have been adequate. But due to the inefficiency or failure of the Metropolitan Police, who boasted of foreknowledge of IRA activity, this warning did not result in an evacuation.

"We regret the civilian casualties , even though our expression of sympathy will be dismissed. Finally, we remind the British Government that as long as they maintain control of any part of Ireland then the Irish Republican Army will continue to operate in Britain until the Irish people are left in peace to decide their own future."

「IRAは、先週ずっと、ブリテンで作戦を行なってきた。我々の義勇兵はWoolwichの軍兵舎の脇に爆弾を仕掛け、ハロッズの脇の車に爆弾を仕掛けた。ハロッズでの作戦はIRA司令部からの承認を得たものではない。このような作戦は二度と行なわれないよう、我々(司令部)は周知徹底を図る策を講じた。なお、ハロッズ爆弾に関与した義勇兵は40分前に警告を入れており、これは適切なことであったはずだ。しかし、IRAの行動については前もって把握していると豪語しているロンドン警察が無能でうまくことを運べなかったために、人々の退避が完了できなかったのである。一般市民が犠牲となったことは遺憾ではあるが、我々のお悔やみの言葉は届くまい。最後に、英国政府に申し上げる。英国政府がアイルランドの一部でも支配を続ける限りは、IRAはブリテンでの作戦を継続する。アイルランドの民が平和のうちに、自身の将来を決断できるそのときまで」


つまり、IRAの司令部(アーミー・カウンシル)の命令とは別個に、ロンドンに入っていたユニットが動いたのだ、という弁解だ。

「命令はなかった、組織の構成員が勝手に判断したのだ」というのは、アブ・グレイブ刑務所での拷問事件での米軍の結論にもあった。むろん、それ以外にも例はいくらでもあるだろう。

実際にIRA内部には爆弾魔としかいいようのない超過激派と、ターゲットは軍や警察に限るとして爆弾ではなく狙撃や襲撃で闘争すべきとする昔ながらの人たちとがいて、ハロッズ爆弾事件のころは爆弾魔がますます勢いづいていたころだったらしい。

Tim Pat Cooganの "The IRA" には、事後調査に入ったIRAのクオーターマスター(ダブリンの商人)が、ハロッズが標的になるとは考えられなかった、何かひどく大きな間違いがあって、ユニットが司令部の命令の外で動いたのだ、と後の裁判(武器の不法所持などについて起訴された)で証言した、と書かれている。

しかし実際には、IRAの爆弾闘争路線はこの後さらにエスカレートしていく。ハロッズ爆弾の翌年、1984年には保守党の党大会が行なわれていたブライトンのホテルに周到に爆弾を仕掛け、メインのターゲットであるサッチャー首相以下の閣僚ではなく、国会議員やその家族を多く殺傷した。
http://ch00917.kitaguni.tv/e85608.html
http://ch00917.kitaguni.tv/e85611.html
http://ch00917.kitaguni.tv/e86319.html

ハロッズは事件の翌年に、所有者がエジプトの大富豪、モハメド・アルファイドに代わった。1983年の爆弾から10年後の1993年、IRAの爆弾闘争がかなり派手に行なわれていたころに、ハロッズは再び狙われた。
http://libcom.org/library/red-action-ira-london-bombs-independent

今年(2007年)のノーベル文学賞を受賞したドリス・レッシングは、「アメリカ人は9-11で過剰反応しているが、IRAのしてきたことを考えればそれほどたいしたことではない」と発言して物議をかもしたが、彼女はこの事件をはじめとするIRAのテロ事件から、1985年の小説、The Good Terroristを着想した。
http://www.nytimes.com/books/99/01/10/specials/lessing-terrorist.html

当時のタイムの記事:
Carnage on a London Street
Monday, Dec. 26, 1983
http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,926420,00.html
On the street, dead and injured shoppers lay crumpled beside torn bags spilling with holiday purchases. As firemen and ambulances sped to the scene, police closed off the area by stringing white plastic tape from lampposts. Across the side street where the blast occurred, Munna Malik, 33, had been serving customers in a clothing store near by when the explosion blew in the windows of his shop. He escaped through a rear fire exit and returned to the street, where he found three bodies and a dead dog beside the flaming remains of a car. Said Malik: "Only the legs of a policeman were recognizable as human. He had no face left."

通りには死亡したり負傷したりした買い物客が横たわり、破れた買い物袋から飛び出したクリスマスのプレゼントが散乱している。消防隊員と救急隊員が現場に向かって走り、警官が街灯の柱にビニールのテープをめぐらせて一帯を封鎖する。爆発があったとき、歩道の向こうでは、衣料品店店員のムンナ・マリクさん(33歳)が接客していた。店の窓ガラスは爆風で割れ、店内に飛び散った。マリクさんは裏手にある非常口から脱出し、通りに出た。そこで、炎をあげる車の残骸の脇で、3体の人間の遺体と犬の死体を見た。「人間だと認識できるのは警官の脚だけでした。顔面は何も残っていませんでした。」


■参考書籍:
0312294166The Ira
Tim Pat Coogan
Palgrave Macmillan 2002-01

by G-Tools


0586090045The Good Terrorist
Doris Lessing
Flamingo 2003-03-17

by G-Tools


posted by nofrills at 07:00 | TrackBack(0) | 主な事件・人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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*参考書籍*

北アイルランド紛争についての英書

英語ではとても読みきれない(買いきれない、収納しきれない)ほどの本が出ていますが、筆者は特に下記の書籍を参照しています。
※画像にポインタを当てると簡単な解説が出ます。

031229416607475451970717135438
The IRA
Tim Pat Coogan
Loyalists
Peter Taylor
Killing Finucane
Justin O'Brien

北アイルランド紛争について、必読の日本語書籍
筆者はこのブログを書く前に、特にこれらの書籍で勉強させていただいています。

4621053159 4846000354
IRA(アイルランド共和国軍)―アイルランドのナショナリズム
アイルランド問題とは何か
鈴木 良平

北アイルランド紛争の歴史
堀越 智

IRA―アイルランドのナショナリズム(第4版増補)
鈴木良平

458836605X
暴力と和解のあいだ
尹 慧瑛
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→「Northern Ireland」での検索結果
* photo: a remixed version of "You are now entering Free Derry",
a CC photo by Hossam el-Hamalawy
http://flickr.com/photos/elhamalawy/2996370538/