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2008年12月22日

【リパブリカンFAQ 質問6】 IRAは「自爆」攻撃はしていませんよね。

【リパブリカンFAQ 回答6】
攻撃者が生還しないことを前提とした爆弾攻撃という意味では、1990年代初めに短期間だけですが、PIRAも「自爆」攻撃を行なっています。

「自爆」といっても、正確には、自爆の志願者に自爆させる(あるいは自爆を志願するように仕向ける)のではなく、死にたくない人に無理やり命を賭した攻撃をさせるという形です。英語ではproxy bomb(代理人による爆弾攻撃)と表されます。
http://en.wikipedia.org/wiki/Proxy_bomb

ウィキペディア英語版によると:

最初のプロクシ・ボム攻撃は、1990年にPIRAのアーミー・カウンシル(軍事評議会)に承認されました。英治安機関の人か英軍のシンパを「プロクシ」とし、その家族を人質にとり、当人に標的まで車爆弾を運転させるという計画です。そして1990年10月24日、武装して覆面をしたIRAメンバーが、英軍の基地で調理担当の仕事をしているパトリック・ギレスピーという男性(カトリック)の家族を人質にとりました。ギレスピーは1000ポンド(450キロ)の爆発物を積んだ車を運転させられ、アイルランドの南北のボーダーにある英軍の検問所へ。そして、車が検問所に到着したとき、遠隔操作で爆発物のスイッチが入れられ、ギレスピーは死亡、検問所にいた英兵5人も死亡しました。

この事件を報じるBBCのニュース:
http://www.youtube.com/watch?v=c66OvsRYmMA


ギレスピーの葬儀でエドワード・デイリー司教(ブラディ・サンデー事件のときにハンカチをかかげて負傷者を運んでいた神父さんです)は、IRAとその支持者は「自分たちはキリストに従っていると言うのかもしれないが、キリスト教に完全に反している」と厳しく非難しています。

同じ日(1990年10月24日)に、ギレスピーのほかにも2人が「プロクシ」として爆弾を運ばされています。

ひとりはジェイムズ・マケヴォイという65歳の男性で、元UDR。ニューリーの英軍検問所に送られました。この人は最後の最後に車から飛び降りて、脚を骨折したものの、命は助かりました。ただし標的となった検問所では、英兵1人死亡、13人負傷。

もうひとりは、オマーの英軍基地の攻撃をやらされています。この「プロクシ」は、妻子を人質に取られた上で脱出しないようシートに縛り付けられていましたが、爆発物が起爆しなかったそうです。

このあと、何度か「プロクシ」による爆弾攻撃が行なわれているそうです。1990年12月21日のファーマナ州の検問所破壊作戦(失敗)、1991年2月にはロンドンデリー州のUDRの基地に対する攻撃(死者なし)など。

ユニオニストからもナショナリストからも、この戦術には非難がなされたそうですが、最終的にこの戦術が終わったのは1993年4月24日だそうです(が、ウィキペディアで【要出典】になっています)。このときは、場所はロンドンで、被害者はタクシー運転手2人。標的はそれぞれダウニング・ストリート(首相官邸)とスコットランド・ヤード(警視庁)。ただし運転手が爆弾を警告しながら走行し、本人たちも車を捨てることができて、死者ゼロだったそうです。ちなみに、そのころロンドンの別の場所では、PIRAが通常型の自動車爆弾を仕掛けて爆発させていました――1993年4月24日、ビショップスゲートです。つまり、失敗したとはいえ、IRAはロンドンで同時多発爆弾テロ計画を進めていた、ということです。(「同時多発」がアルカイダ系の特徴、とかいう雑な話も、英語のサイトでときどき見るけれども。)

ビショップスゲート事件について(詳細はまた改めて記事を起こします):
http://en.wikipedia.org/wiki/Bishopsgate_bombing
http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/april/24/newsid_2523000/2523345.stm
↑映像あり。

ビショプスゲイト爆弾は、衝撃波の伝わり方がすごかったそうで、高層ビルの上層階までガラスがやられています。
http://www.flickr.com/photos/stephen_laverack/152129511/

「予告をしている」とか「標的は建築物であって人間ではない」とかいったことで「IRAはイスラム原理主義のテロリストとは違う」と主張している例を、英語のサイト(フォーラムなど)でときどき見かけますが、PIRAのアーミー・カウンシルは「プロクシ・ボム」という戦術を積極的に採用していた、という事実を見た場合、「IRAのテロはイスラム原理主義のテロとは違って正しい闘争である」といった言説は、ただのプロパガンダかそれを鵜呑みにしたナイーヴな意見であると結論せざるを得ません。

ウィキペディアによると、こういった残虐非道な戦術を採用したことはPIRAへの支持を弱め、最終的にはそれが1990年代の「和平」の進展に寄与した、という皮肉な指摘が、ジャーナリストのピーター・テイラーからなされているそうです。

エド・モロニーというジャーナリストは、そのことから「実は多極化は意図的に自壊するための米国の策、リパブリカン運動の中でも和平を推進したい勢力がしくんで、武装闘争一辺倒のタカ派に暴走させたのだ」という説をとっているそうです。私は個人的には、他に固い証拠がない場合、この人の書いていることをそのまま信用する気にはなれませんが(この件についてだけではなく)。

以上、ウィキペディアを参照して書きました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Proxy_bomb


posted by nofrills at 22:00 | TrackBack(0) | リパブリカンFAQ (IRA, INLA等) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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*参考書籍*

北アイルランド紛争についての英書

英語ではとても読みきれない(買いきれない、収納しきれない)ほどの本が出ていますが、筆者は特に下記の書籍を参照しています。
※画像にポインタを当てると簡単な解説が出ます。

031229416607475451970717135438
The IRA
Tim Pat Coogan
Loyalists
Peter Taylor
Killing Finucane
Justin O'Brien

北アイルランド紛争について、必読の日本語書籍
筆者はこのブログを書く前に、特にこれらの書籍で勉強させていただいています。

4621053159 4846000354
IRA(アイルランド共和国軍)―アイルランドのナショナリズム
アイルランド問題とは何か
鈴木 良平

北アイルランド紛争の歴史
堀越 智

IRA―アイルランドのナショナリズム(第4版増補)
鈴木良平

458836605X
暴力と和解のあいだ
尹 慧瑛
→「北アイルランド」での検索結果
→「Northern Ireland」での検索結果
* photo: a remixed version of "You are now entering Free Derry",
a CC photo by Hossam el-Hamalawy
http://flickr.com/photos/elhamalawy/2996370538/