現在進行中の事件などに関しては、本家およびはてなブックマークをご参照ください。

2008年12月13日

【リパブリカンFAQ 質問3】 IRAと「レジスタンス」の違いは?

【リパブリカンFAQ 回答3】
※このエントリは、いただいた質問を元に書いています。

“「テロ」か「レジスタンス」か”という用語法が前提にあるものとして回答します。(「レジスタンス」というものを厳密に定義したいとかではなく。)

「IRA」の行動は、その「IRA」が1969年の分裂前であろうと、分裂後のOfficials, Provisionalsであろうと、さらに分派したINLA, Continuity IRA, Real IRAであろうと――これらを総称して「リパブリカン」(実態としての「武装主義のナショナリズム」を表す)と言いますが――、彼らの考え方に沿うならば、「レジスタンス」と呼ぶべきでしょう。(私自身は自分の文章として書くときは、「テロ」とも「レジスタンス」とも呼ばず、単にIRAの用語である「武装闘争 armed struggle」を使ったり、より中立的で具体的な「攻撃 attack」などを使ったりしますが。)

また、必ずしも彼らの考え方に沿っていなくても彼らの行動を「レジスタンス」と書いている例として、Globalsecurity.orgの記述を引きます。(太字強調は引用者による。)
http://www.globalsecurity.org/military/world/para/ira.htm
... the Provisional IRA was the largest of the three republican armed resistance groups.

The policies of Sinn fein under the leadership Gerry Adams from 1994 to 1998 led to a split in the Provisional Irish Republican Army during the fall of 1997, with one faction accepting the new Good Friday Agreement, and the New or Real IRA continuing armed resistance to British partition.


Globalsecurity.orgが、Provisional IRAとReal IRAについて、"armed resistance" という記述をしていることに意外な印象を受ける方が多いのではないかと思います。私も意外な印象を受けました。

Globalsecurity.orgは「中立」の立場での記述でしょうが、実際に英語サイトを対象に「IRA resistance」で検索すると、用語法をめぐる議論を回避するために形式的に両論併記したい場合に "IRA resistance/terrorists" などと表している例もなくはないですが、「リパブリカン」のスタンスの記述で "IRA resistance" と書かれている例が多く確認できます。

つまり、「北アイルランド紛争」の「終わり」を1998年ベルファスト合意とし、それまでの「紛争」におけるIRAの行動 (actions) が――すなわち「統一アイルランドのための武装闘争」が「紛争」の軍事的側面の中心であると位置付ける場合(こういう見方が主流なので何ももったいぶって書かなくてもいいんですが)、その「IRAの行動」は「テロリストのもの」なのか「レジスタンスのもの」なのか、どちらかひとつを選択せよ、ということになると、「どちらの呼び方をするかは政治的なスタンスによるものだ」としか言いようがありません。

むろん、英国側はIRAを「テロ組織 terrorist organisation」として「テロ法 the Terrorism Act」で「特定組織」にしています (→現行法ではthe Terrorism Act 2000のPart II参照。the Terrorism Act自体は2006年に改定されているが、「特定組織」の部分は、2006年の法でも2000年のものをそのまま参照している)。しかし、そのことが示す「事実」は、英国側の公的なスタンスがそれである、ということだけです。普遍的事実ではありません。この点について少し考えると、そもそも「普遍的にテロリスト」とかいうものがあるのかどうかという話になってしまうので、今は先に進みます。(「普遍的にテロリスト」なるものがあるのかどうかは、このサイト全体で、多分扱わないと思います。無料で公開するという前提で扱えると私が考えている範囲を軽く超えてしまうので。よって、この点についてのご質問などには応じられないと思います。)

IRAの活動が何なのか、という点については、IRAの考え(主義主張)のベースを知ることが前提になります。

前置きが長くなりましたが、以下が本論です。

※注意書き:以下は主義主張のための文書ではありません。私がこのエントリで何かを書いているのは主義主張のためではありません。ただし、彼らの主義主張を説明するために、彼らの主義主張をそのまま書く箇所があります……と書いておかないと「サポ」認定されかねないので、蛇足ですが注意書きとして添えておきます。

説明に便利なので、ウィキペディア英語版のProvisional IRAのエントリから少し拝借します。この記述は、「まったく問題がない」わけではありませんが、「政治的スタンスによる問題がほとんどない」記述といえるものです。*注
http://en.wikipedia.org/wiki/Provisional_Irish_Republican_Army

少しずつ区切って見ていきます。

The Provisional Irish Republican Army or IRA, is an Irish republican paramilitary organisation that considers itself a direct continuation of the Irish Republican Army (the army of the Irish Republic - 1919-1921) that fought in the Irish War of Independence. Like other organisations calling themselves the IRA ..., the Provisional's constitution establishes them as Óglaigh na hÉireann ("The Irish Volunteers") in the Irish language, which is also the official title of the Irish Defence Forces. ...

The Provisional Irish Republican Army (ないしIRA, PIRA) は、アイリッシュ・リパブリカンの武装組織である。彼らは自分たちは、アイルランド独立戦争を戦い、1919年から1921年のアイルランド共和国の軍隊である「アイルランド共和国軍 the Irish Republican Army」を直接受け継ぐ者だと考えている。「IRA」を名乗っている他の組織と同様に、Provisionalsの規約・憲章 (constitution) では、この組織は "Oglaigh na hEireann" (アイルランド語で、意味は「アイルランドの義勇兵たち」、つまり「アイルランド義勇軍」) である。なお、このアイルランド語の名称は、現在のアイルランド共和国の国防軍も使っている。


これを一読して話が飲み込めた方は、次の引用部分に進んでください。

ここで既にこんがらがってきた方は(こんがらがらないほうがむしろ珍しいと思いますが)、できれば、アイルランド史についての書籍で、1916年から1922年の部分をざっと読んでみてください(どの書籍でも説明されていることはだいたい同じだと思います。ただ、出てくる人の数が多いか少ないか、誰にスポットライトを当てているかなどの違いはあります)。

次善の策としては、映画『マイケル・コリンズ』をどうぞ。この映画は史実を扱ったものとしてはいくつか問題点がありますが、それを踏まえて見ればOKです。(コリンズを「主人公」にするためにちょっと無理をした箇所と、ジェイムズ・コノリーの軽視が大きな問題点として取り沙汰されています。また、結末での「ほのめかし」も史実として確定していることではありません。)

本も映画も見てる暇などない、手っ取り早く教えてくれという人は、【リパブリカンFAQ 質問1】 IRAって簡単に言えば何ですかの簡易年表に書き込んである「出来事」をご参照ください。

また、上記の引用文中に原文のまま残してあるリンクもご確認ください。

ウィキペディアの次のセクションに行きます。

The IRA's stated objective is to end "British rule in Ireland," and according to its Constitution, it wants "to establish an Irish Socialist Republic, based on the Proclamation of 1916." Until the Belfast Agreement, it sought to end Northern Ireland's status within the United Kingdom and bring about a united Ireland by force of arms and political persuasion. ...

IRAが明文化しているその目的は、「アイルランドにおける英国の支配」を終わらせることである。そしてIRAの規約 (Constitution) によれば、IRAは「1916年の(アイルランド共和国)宣言【→質問7を参照】に基づいたアイルランド社会主義共和国を成立させる」ことを求めている。ベルファスト合意【注:1998年のグッドフライデー合意のこと】までは、武力と政治的説得によって、北アイルランドが連合王国【注:つまり英国】のなかに所属している状態を終わらせ、統一アイルランドを実現させることを目指してきた。……

ということです。つまり、「統一アイルランドを実現させる」ために「アイルランドにおける英国の支配」を終わらせることがIRAの目的です。1998年グッドフライデー合意までのIRAにとっては、「アイルランド」はいまだに「英国の支配 the British Rule」を受けており、それが「統一アイルランド」の実現を阻んでいた、ということです。その「英国の支配」に対する「武装闘争」が、IRAの活動です。つまり、彼らの「物語」においては、平たく言えば「体制に対するテロ」ではなく、「(不法な支配に対する)レジスタンス」ととらえてしかるべきです。

※ウィキペディアのこのくだりは、「ベルファスト合意まで」の部分がややまぎらわしいかもしれません。ベルファスト合意までのIRAは「武力と政治的説得によって」統一アイルランドの実現を目指しており、同合意後は、IRAはそのうち「武力」路線を放棄して「政治的説得によって」統一アイルランドの実現を目指している、と考えるべきですが、そうすると今度は主語の問題が生じ、「IRAとシン・フェインは」、つまり「リパブリカン・ムーヴメントは the Republican movement」とすべきではないかとかいう議論になったりします。(この点については、詳細は稿を改めます。)

「IRAは『レジスタンス』である」という言説の説明はこれで終わりなのですが、これではたぶんわかりづらいと思うので、ここまでの記述をまとめながらもう少し説明を加えてみます。

1916年のイースター蜂起で、パトリック・ピアースやジェイムズ・コノリーら、蜂起の主体となった人々 (the Irish Republican Brotherhoodとthe Irish Volunteersとthe Irish Citizen Armyの人々) が「アイルランド共和国 Poblacht na h Éireann」の樹立を宣言しました (Proclamation of the Irish Republic)。

この「アイルランド共和国」は、アイルランド島全体から成るもので、アイルランド島全体が、当時の英国、すなわちthe United Kingdom of Great Britain and Ireland (1800年の連合法によって成立) を離脱し、国家としての主権を有する独立国家となるということを、「一方的に」宣言したものです(「一方的」宣言でない独立というものがあるのかどうか、というのは別の問題とさせてください)。

Proclamation of the Irish Republicから、そのことが宣言されている部分を抜粋します。ここで "foreign" とあるのはBritishのことです。端的にまとめれば、「外国人の、つまり英国とその政府の支配からアイルランドは解放される」という宣言です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Proclamation_of_the_Irish_Republic
We declare the right of the people of Ireland to the ownership of Ireland, and to the unfettered control of Irish destinies, to be sovereign and indefeasible. The long usurpation of that right by a foreign people and government has not extinguished the right, nor can it ever be extinguished except by the destruction of the Irish people.


この「独立宣言」は、英国によって認められることはありませんでした。つまり、蜂起は6日で英当局によって「鎮圧」され、蜂起の「首謀者」たちは英国によって処刑され、彼らの「共和国樹立宣言」は無効なものと位置付けられました。「アイルランドの独立」は達成されませんでした。

以降IRA(とシン・フェイン)は、紆余曲折ありながら、1916年に宣言されたこの「共和国」の実現を求め、目指してきました。これは事態が「北アイルランド紛争」という局面に入ったあとも同じです。(ただし「北アイルランド紛争」においては、最大の要因として北部6州における「カトリック」への差別と暴力があったからこそ、IRAは「兵力」を増強できました。つまり「1916年」は象徴として、個々の人々を結びつける「物語」として存在していたことは確かですが、「1916年に宣言された共和国の実現」という理念だけでは人々が動いたかどうかわかりません。)

1916年の「共和国宣言」の後には、1918年の英総選挙(つまり、the United Kingdom of Great Britain and Irelandの下院選挙)後に成立した「第一次アイルランド国民議会 the First Dáil Éireann」(1919-1921) があり、1919年の「独立宣言」があり:
http://en.wikipedia.org/wiki/First_D%C3%A1il
http://en.wikipedia.org/wiki/Declaration_of_Independence_(Ireland)

「アイルランド義勇軍(呼び名はIRAかもしれないしthe Irish Volunteersかもしれないけど、それは本質的なことではありません)」対「英軍」の戦争だった「アイルランド独立戦争 the Irish War of Independence」(1919-1921) があり、「アングロ・アイリッシュ条約 the Anglo-Irish Treaty」(1921) があり:
http://en.wikipedia.org/wiki/Irish_War_of_Independence

「第二次アイルランド国民議会 the Second Dáil Éireann」(1921-1922) があり、アイルランド内戦があり:
http://en.wikipedia.org/wiki/Second_D%C3%A1il

……という流れがありますが、ここで最大の問題は、1921年の「アングロ・アイリッシュ条約」(「独立戦争」の終わり)において、「アイルランド島全体でひとつの独立国家」という1916年(と1919年)の前提が崩壊したことです。

手抜きして、英語版ウィキペディアの「アイルランドの歴史」の項目から(強調は引用者による):
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Ireland
#Home_Rule.2C_Easter_Rising_and_War_of_Independence_.
281912.E2.80.931922.29

In December 1921, representatives of both governments signed an Anglo-Irish Treaty. The Irish delegation was led by Arthur Griffith and Michael Collins. This abolished the Irish Republic and created the Irish Free State, a self-governing Dominion of the British Empire in the manner of Canada and Australia. Under the Treaty, Northern Ireland could opt out of the Free State and stay within the United Kingdom: it promptly did so.


つまり、「アングロ・アイリッシュ条約」は、1916年のイースター蜂起で宣言された「共和国」と(また、1919年に議会として「独立宣言」を出した「共和国」と)、その後アイルランド全島規模で運営されてきた国民議会を廃止し、アイルランド島には「独立国家」の地位ではなく、当時の英連邦にあった「自治国」、つまり「自由国 Free State」の地位が与えられ、「アイルランド自由国」となる、という内容でした。

そればかりか、「北アイルランド」、つまり「北部6州」(→【質問6】参照)はこの「自由国」からの離脱の選択権を有するとされており、実際に「北部6州」は「自由国」を離脱して連合王国の一部に留まり、「連合王国」は "the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland" となりました。(北部の離脱についてのバックグラウンドは、項目を改めて説明します。この項目はリパブリカン視点での説明に徹します。)

今のアイルランド共和国 (the Republic of Ireland) はこのときの「アイルランド自由国」(つまり、島全体から北部6州が「離脱した」状態)がそのまま、「完全な主権を有する独立国家」になったものです。

これをもって「アイルランドは独立国家である」と言ってよいのかどうか、というのが、「アイルランド史」をどう見るかを左右する大きな枠組になっています。そして、いわば「真の独立国家」はいまだ実現していないというスタンスが、20世紀半ば以降の北アイルランドでの「アイリッシュ・ナショナリズム」および「アイリッシュ・リパブリカニズム」であると言ってよいでしょう。

「アイルランドとは何か」ということですが、もうひとつ、1998年の合意までは、アイルランド共和国憲法の第二条と第三条で、「アイルランド島全域を国土とする (The national territory consists of the whole island of Ireland)」といった規定がなされていたことも極めて重要です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Nineteenth_Amendment_of_the_Constitution_of_Ireland
http://en.wikipedia.org/wiki/Articles_2_and_3_of_the_Constitution_of_Ireland

この第二条、第三条は1999年のレファレンダムで修正され、「国土」ではなく「共通したアイデンティティを有する個々の成員のコミュニティ a community of individuals with a common identity」がアイルランドである、ということになりましたが、2000年代になった今でもアイルランド共和国の政府観光庁が出している観光パンフレットなどを見ると、「島全体でひとつ」という扱いがされています。これは「北アイルランドもダブリンからすぐにいけますからついでにどうぞ」ということではありません(例えばスペインの観光庁のパンフレットでポルトガルを一緒に扱っている、ということではなく)。「共通したアイデンティティを有する個々の成員のコミュニティ」としてのアイルランドにボーダーはない、ということです。(「島全体が不可分の領土である」という修正前のアイルランド共和国憲法のころの旅行パンフレットそのまま、という考え方もできると思いますが。)

話が少し逸れましたが、元に戻します。

IRAは――というより、シン・フェインを含む「リパブリカン運動」は――、1921年のアングロ・アイリッシュ条約を発端とする「アイルランド自由国/アイルランド共和国」の成立によって「アイルランドは独立を達成した」とは見なしていません。(これが、「IRAは、イングランドに長年虐げられてきたアイルランドの独立を目指す組織である」という間違いを間違いだと指摘するときに「アイルランドは1920年代に連合王国から独立しているから、もう今さら『独立を目指す』ことはできない」と言うことは微妙である、と私が説明した理由です。)

彼らは、1916年に宣言された「アイルランド共和国」こそが正当なものであると考えています。

そして、1916年に宣言された「アイルランド共和国」を実現させるためには、「(今地図にある)アイルランド共和国」と「北アイルランド」の権威を認めることを拒否し――具体的にはアイルランド共和国と英国の議会を否定し(これが「議会欠席 abstentionism」という理念・行動のバックボーンです。それらの議会を「正当な国会」とは認めない、ということです)、「武装闘争 armed struggle」を展開するしかない、というのが、1998年ベルファスト合意までのIRA(とシン・フェイン)の根本的理念でした。

「でした」と過去形にするのは、1998年ベルファスト合意で、Provisional IRAとシン・フェインはそれを見直したからです。具体的には、「武装闘争」を止めた、ということです。

で、「議会欠席」についても段々と変わってきています。シン・フェインは1980年代にまず「アイルランド共和国」(南部26州)の議会の権威を認めました(シン・フェイン所属の人が出馬して当選したら、議会に出席するようにしました)。これがContinuity IRAの分派を引き起こしました。

1998年のグッドフライデー合意は、「北アイルランド自治議会」へのシン・フェインの参加を前提とするシステム作りで、これもシン・フェインは拒否せず参加しています。

シンフェインが今でもabstentionismを続けているのは、英国の議会です。ジェリー・アダムズら英国下院に議席を有するシン・フェインの政治家は複数いますが、議員としての登院は拒否し続けています。

これを「議員に義務付けられた英国国家元首への忠誠の宣誓をいやがっているから」みたいな説明がされることもありますが(シン・フェイン支持者からも、それをけなす立場からも)、本質は「女王への忠誠」云々ではなく、「英国というオーソリティ」です。これについては2008年の夏にデイリー・メイルという英国のガチ右翼新聞がぎゃあぎゃあ書いていました。少し笑えますのでどうぞ。
http://nofrills.seesaa.net/article/104507103.html

長くなりましたが、こんなところでいったん切ります。ご質問などは「質問専用のエントリ」へどうぞ。



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「ぽすれん」にもマイケル・コリンズはあります。街のレンタル屋さんにもDVDでもVHSでもあると思います。

*注
ただし「アメリカ合衆国ではProvosは非合法組織に指定されていない」点については、ソースが2000年代のリストで、違和感があります。Sinn Fein ... was de-designated as a foreign terrorist organisation by the US State Department in 1994 after the start of peace efforts in Northern Ireland - a move which allowed its leader, Gerry Adams, to travel to the US. という点が見えなくなっています。(シン・フェインはPIRAとセットです。シン・フェインの指定解除が1994年だったということは、PIRA指定も1994年だったということです。)

「IRA」というものはそもそも印象次第なので、ウィキペディアでのこういう扱い方はかなり危なっかしいと思います。なお、付け加えておくと、2000年代になってもContinuity IRAは非合法ですから、「アイリッシュ・リパブリカンの武装活動すべてがアメリカでは容認されている」ということではありません。

なお、英語版の記述に基づいている日本語版ウィキペディアは、おそらく主に基にした版と訳語の問題で、やや微妙です。IRAを語るときに「テロ」という言葉を何の留保もなく使ってOKってのは、ちょっと特異な感じがします。(IRAに限った話ではありませんが。)

なお、IRAの行動が「テロ」かそうでないかについての私の個人的な文章は、本館のほうにあります。一例としてはここに。個人的には、IRAの理屈には非常に大きな疑問を感じています。


posted by nofrills at 23:00 | TrackBack(0) | リパブリカンFAQ (IRA, INLA等) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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*参考書籍*

北アイルランド紛争についての英書

英語ではとても読みきれない(買いきれない、収納しきれない)ほどの本が出ていますが、筆者は特に下記の書籍を参照しています。
※画像にポインタを当てると簡単な解説が出ます。

031229416607475451970717135438
The IRA
Tim Pat Coogan
Loyalists
Peter Taylor
Killing Finucane
Justin O'Brien

北アイルランド紛争について、必読の日本語書籍
筆者はこのブログを書く前に、特にこれらの書籍で勉強させていただいています。

4621053159 4846000354
IRA(アイルランド共和国軍)―アイルランドのナショナリズム
アイルランド問題とは何か
鈴木 良平

北アイルランド紛争の歴史
堀越 智

IRA―アイルランドのナショナリズム(第4版増補)
鈴木良平

458836605X
暴力と和解のあいだ
尹 慧瑛
→「北アイルランド」での検索結果
→「Northern Ireland」での検索結果
* photo: a remixed version of "You are now entering Free Derry",
a CC photo by Hossam el-Hamalawy
http://flickr.com/photos/elhamalawy/2996370538/


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