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2008年12月05日

【質問24】 「プロテスタント系住民」とは。「カトリック系住民」とは。

【回答24】
これまた大雑把な説明ですが、北アイルランドの「プロテスタント」は、17世紀のアルスター入植でスコットランドから移住した人たち(つまり「スコットランド系アイルランド人」)が多く、宗派としてはプレスビテリアン(長老派。つまりカルヴァン派)が多い。この点については、Church of Scotland (the Kirk) の概略なども参照してください。

一方「カトリック」は元々住んでいた人たち、つまり「アイルランド人」です。

わざわざ書くまでもないことですが、「プロテスタント」は16世紀の「宗教改革」によってできたもので、それ以前は「カトリック」しかありませんでした。(「カトリックしかなかった」とはいえ、正確には、カタリ派などもあったし、そのような「異端」がなければスペインの異端審問もなかったのですが。)

そして、イングランドでは「宗教改革」で成立した「イングランド国教会 Church of England」が――これは「教会の首長」が「国王」である、という宗派です――あり、それとは別に、カルヴァン派のような大陸的な意味でのプロテスタントがあり、そのいずれもが「プロテスタント」と呼ばれます。

そして――説明が下手なのでどんどんややこしくなるのですがご容赦を――、16世紀とか17世紀とか、イングランドおよびブリテンが激動の時代だったころ、アイルランドはその植民地支配を受けており(←これもまた単純化した説明ですが)、「元々住んでいたアイルランド人=カトリック」、「ブリテンからの入植者=プロテスタント」(国教会であれ、プレスビテリアンであれ)という大まかな構図になっていました。

なお、イングランドでは1673年に審査律という法律ができ、国教徒以外の者は公職から追放されていて、つまり「カトリック」は差別を受けていたし、「プロテスタント」でもプレスビテリアンのように国教会以外の宗派は差別されていました。

さて、アイルランド島では国教会(アングリカン)は「アイルランド国教会 Church of Ireland」で、この教会の信徒がアングロ・アイリッシュ Anglo-Irish と呼ばれる人々の大半を占めています。

一方で、同じ「プロテスタント」でも、アルスターに入植したプレスビテリアンはアルスター・スコッツ Ulster-Scots と呼ばれます。

ブリテンとアイルランドの関係を言う場合、1921年までの時期(アングロ・アイリッシュ条約まで、つまり「アイルランド独立戦争」まで)のこと、特に「アイルランド自治 Home Rule」をめぐるあれこれのことを、「アイルランド問題 the Irish Question」と言います。この時期の「プロテスタントとカトリック」は、非常に大雑把に言えば、多くのケースで「国教会の信徒(アングロ・アイリッシュ)とカトリック」でした。それは「地主と小作農」の関係でもあり、「搾取する者と搾取される者」の関係でもありました。(例えば1916年イースター蜂起のころの書き物を読むときには、こういった前提からアプローチするのがよいと思います。)

一方で、アングロ・アイリッシュ条約後、つまり「分断 Partition」のあとのブリテンとアイルランドの関係で「問題」となったのは「北アイルランド」で、それが「北アイルランド問題」です。(英語版ウィキペディアには、これを the Troubles or the Irish Problemと言う、とあります。Troublesはconflictの婉曲表現でもあり、単なる軍事的な局面に限らず、より広範な、政治的な問題をいう語でもあり……ああ難しい。)

そして、「北アイルランド問題」の文脈で「プロテスタントとカトリック」と言う場合、それは主に「アルスター・スコッツ(プレスビテリアン)とカトリック」です。(むろん、北アイルランド/アルスターには国教会の人たちもいますし、メソジストなど他の宗派の人たちもいますが、中心はプレスビテリアンです。)そこには単純な「搾取と被搾取」の関係は……あることはあるのですが(「資本家」対「労働者」的な)、でもほとんどの場合がそれで説明できるかというとできません。むしろ、北アイルランド紛争の前面で「戦争」をしていた「プロテスタント」は、自身の「労働者階級」というアイデンティティをとても大事にしているし、紛争の最前線で火花を飛ばしあっていた「プロテスタント」と「カトリック」は、「豊かな者と貧しい者」では必ずしもなく、むしろ「貧しい者と貧しい者」だったことがとても多い。

しかるに、「プロテスタントとカトリック」という言い方をすると、何となくイメージで(←何事についてもこれが罠になるのですが)「豊かなプロテスタントと貧しいカトリック」という図式で考えてしまいがちになります。これは非常にmisleadingです。

……というように、「宗派」を軸に語ることは、事実に忠実になろうとすればするほど、むやみにややこしくなります。読み手にもいろいろな知識が要求されます。なので、私は「宗派」を軸としたとらえ方は基本的にしないようにしています。「宗派」が重要な意味を持つときはそれを軸とします(7月12日とか)が、そうでないときは「カトリック系住民」とか「プロテスタント系住民」とかいう言い方は、ほとんどしません。

新聞報道などで(英語であれ日本語であれ)「カトリック系住民」と「プロテスタント系住民」という言い方をしていたのは、おそらく便宜上のことなのでしょうが、「北アイルランド」を語る場合は、それよりも、「ナショナリスト」「ユニオニスト」で語ることが、正確さのためにはずっとよいです。

なお、「ナショナリスト」は多くが「カトリック」であり、「ユニオニスト」は多くが「プロテスタント」である、ということは事実です。しかし「プロテスタントでナショナリスト」という人々もこれまでに多くいましたし、むしろそういう人たちの存在は、アイルランドの歴史を見るときに無視できない。18世紀のナショナリズム運動、「ユナイテッド・アイリッシュメン」の指導者セオボルド・ウルフ・トーンはダブリンのプロテスタント(Church of Ireland)でしたし、19世紀の「アイルランド自治運動」の中心人物だったチャールズ・ステュワート・パーネルもプロテスタントの地主の家の出身です。

すべてを「宗派」で語ることの危険性という点で、ウィキペディア英語版のウルフ・トーンの項にたまたまよい例があったので、この項の最後に抜粋しておきます。
Existing sectarian animosity did threaten to undermine the United Irishmen movement: two secret societies in Ulster fought against each other, the Peep O'Day Boys, who were made up mostly of Protestants, and the Defenders, who were made up of Catholics. These two groups clashed frequently from 1785 and sectarian violence worsened in the county Armagh area from the mid 1790s. Sectarianism was deliberately fostered to undermine Wolfe Tone's movement, as it suggested that Ireland couldn't be united and that religious prejudices were too strong. In addition, the militant Protestant groups, including the newly founded Orange Order, could be mobilised against the United Irishmen by the British authorities. However these groups were largely based in Ulster, and the underlying reason for their conflicts was the growing demand for rented land, not religion per se.

既に存在していた宗派間の敵意が、ユナイテッド・アイリッシュメンの運動にとって悪い材料として作用したことは確かだ。アルスターでは2つの秘密結社が争っていた。プロテスタントがほとんどのPeep O'Day Boysと、カトリックから成るDefendersである。これら2つのグループは1785年以降頻繁に衝突し、1790年代半ばにはアーマーの一体で宗派間暴力が悪化した。アイルランドは統一されようがない、宗教的偏見はあまりに強いのだ、ということを示す宗派主義は、ウルフ・トーンの運動をつぶすために意図的に涵養されていたのである。これに加えて、武装主義のプロテスタントの集団(新しく創設されたオレンジ・オーダーなど)が、英当局によって動かされ、ユナイテッド・アイリッシュメンに対抗することもあった。しかしながら、これらの集団は多くがアルスターを拠点としており、その紛争の真の理由は、借地に対する要求の拡大であって、宗教そのものではなかった。

http://en.wikipedia.org/wiki/Theobald_Wolfe_Tone

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*参考書籍*

北アイルランド紛争についての英書

英語ではとても読みきれない(買いきれない、収納しきれない)ほどの本が出ていますが、筆者は特に下記の書籍を参照しています。
※画像にポインタを当てると簡単な解説が出ます。

031229416607475451970717135438
The IRA
Tim Pat Coogan
Loyalists
Peter Taylor
Killing Finucane
Justin O'Brien

北アイルランド紛争について、必読の日本語書籍
筆者はこのブログを書く前に、特にこれらの書籍で勉強させていただいています。

4621053159 4846000354
IRA(アイルランド共和国軍)―アイルランドのナショナリズム
アイルランド問題とは何か
鈴木 良平

北アイルランド紛争の歴史
堀越 智

IRA―アイルランドのナショナリズム(第4版増補)
鈴木良平

458836605X
暴力と和解のあいだ
尹 慧瑛
→「北アイルランド」での検索結果
→「Northern Ireland」での検索結果
* photo: a remixed version of "You are now entering Free Derry",
a CC photo by Hossam el-Hamalawy
http://flickr.com/photos/elhamalawy/2996370538/


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