「アルスター」とは何なのか、また「アルスター」と「北アイルランド」は同じなのかという疑問は、まさに「北アイルランド紛争」の根幹についてのものです。
「アルスター Ulster」には2種類あります。ひとつは「歴史的に言われてきたアルスター」、もうひとつが「『北アイルランド』と同義語の『アルスター』」です。この2つが一致するかしないかは、政治的な立場・見解・主義主張などなどによります。
「歴史的に言われてきたアルスター」は、アイルランド全体の4つのプロヴィンス(地方)――レンスター (Leinster)、マンスター (Munster)、コナハト (Connacht)、アルスター (Ulster) のひとつです(図1)。
[図1]

このアルスターは、【質問4】で述べた6州のほか3州の計9州で構成されています。つまり:
- アントリム州 County Antrim(▼現在の北アイルランド)
- アーマー州 County Armagh
- ダウン州 County Down
- ファーマナ州 County Fermanagh
- ロンドンデリー州 County Londonderry
- ティローン州 County Tyrone (▲ここまで、現在の北アイルランド)
- キャヴァン州 County Cavan
- ドニゴール州 County Donegal
- モナハン州 County Monaghan
キャヴァン、ドニゴール、モナハンの各州は、1921年の分割の際、「南(アイルランド自由国)」に組み込まれました。その理由は、これら3州では「カトリック」が多数であり、この3州を「アルスター」として一緒にすると、「人々の意思による民主的な決定で自発的に英国に残留する」という名目の「北アイルランド」の前提が崩れてしまうことでした。つまり、「(カトリックの)アイルランド自由国」ではなく「連合王国(英国)」の一部であることを望んだのは「(反カトリックが基本の)プロテスタント」であり、彼らの意思が「民主的な選択」であるためには、「北アイルランド」は「プロテスタント」が安定的に多数派でなければならない。そのために、「カトリック」の多い3州を切り離したのです。(ただしドニゴールは実際にはプロテスタントが非常に多かったし組織的にも強かったにもかかわらず、「アルスター」から切り離されています。)

しかし、「ユニオニズム」(英国の一部であることを選ぶ立場)の人たちは、オレンジの部分を「アルスター」と呼ぶことに何のためらいもありません。むしろ積極的にそう呼びます。英国の政府やメディアなども、「北アイルランド Northern Ireland」の同義語として「アルスター Ulster」をよく使います。ただし、英国のメディアであっても「アイリッシュ・ナショナリズム」に共感するような立場のメディアは、「北アイルランド」の同義語としての「アルスター」はあまり積極的には使いません。そういったメディアがそういう意味で「アルスター」を使うのは、見出しで文字数を節約しなければならないときなど(→実例)、ごく限られた場合です。
なお、少なくとも2000年代に入ってから、英国の全国メディアで「アルスター」を積極的に使っていないのは、ガーディアンとBBCです。(BBCはかつては「アルスター」を使っていました。)デイリー・テレグラフ(保守党の新聞)とインディペンデント(アイルランドのプロテスタント系のメディアグループの新聞)、タイムズは、それぞれ程度の差はありますが、「アルスター」をよく使っています。
文中で加工して使用した図の元図 (GNU Free Documentation License):
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:IrelandProvincesNumbered.png
資料:
http://en.wikipedia.org/wiki/Ulster
http://en.wikipedia.org/wiki/Northern_Ireland#Variations_in_geographic_nomenclature
http://cain.ulst.ac.uk/othelem/glossary.htm#U