1996年2月9日は金曜日だった。当時、金融・商業の一大拠点として大規模な再開発が進められていたロンドン東部のドックランズ地区は、既に「閉鎖された港湾施設の跡地」、「寂れたウォーターフロント地域」ではなくなっていた。この一帯の港湾施設が現役だった時代に使われていた貨物鉄道の線路を利用して整備されたDLR(ドックランズ・ライト・レイルウェイ)が1987年に最初に開通したカナリー・ウォーフ(「ワーフ」は日本語で変な読みが定着したもの)地域は、1990年代初頭の英国経済の不況の時期には低迷していたオフィス需要の増加に沸いていた。つまり、IRAにとっては大きな「経済標的」になっていた。
午後5時半ごろ、ベルファストと、アイルランド共和国の首都ダブリンに電話が入った。「停戦(後述)の終了」を宣言し、カナリー・ウォーフに爆弾を設置したことを告知するIRAからの電話だった。すぐにロンドン警察に連絡が行った。カナリー・ウォーフのサウス・キー駅付近からは人々が退避させられた。
午後7時1分、サウス・キー駅付近に停められていたトラックが爆発した。トラックには500キロの肥料爆弾が積まれていた。再開発で新たに建築された「外壁はほぼ全面ガラス」みたいな建物のガラスが粉々に砕け、退避しきれなかった人々の上に降り注いだ。爆風・衝撃波で飛ばされた重いもの(コンクリート片、金属板など)が飛んだ。「ドックランズ爆弾事件」と呼ばれるIRAのボム攻撃だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/1996_Docklands_bombing
http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/february/10/newsid_2539000/2539265.stm
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