http://en.wikipedia.org/wiki/The_Twelfth
この記念日、前夜(11日)の街々での(時には近隣に危険を及ぼすほど)巨大なかがり火(ボンファイア)と12日当日のパレードは毎年夏の「風物詩」である……と書いて終わることができるような平和で楽しいものではない。「北アイルランド」の歴史は、「プロテスタントが勝ち誇る祭り」にカトリックがいい顔をするような歴史ではない。毎年この時期になると、「過去を記念すること」にものすごい熱意を傾ける人々の間からいろんな種類の煙が上がり、その多くは非常に政治化される。その政治化の度合いが、2000年代以降は北アイルランドの「ピース(平和、和平)」のあり方と連動している。
ベルファストでも、「フラッシュポイント」と呼ばれる地域(特に北ベルファストのアードイン地区)では、パレードをするプロテスタントの側と、「征服者」に勝ち誇られるカトリックの側の間で挑発・にらみ合いになり、時には「暴動 riot」と呼ばれる事態となって警察の放水車が大活躍する(このため、「毎年夏の水かけ祭り」のように見えることすらある)。が、1998年のグッドフライデー合意体制で設立された「パレード委員会 the Parades Commission」がパレードのルートや時間帯を決め、プロテスタントの団体がその範囲で行事を粛々と行なう限りは、「特に何事もなく平和裏に終了する」ことが多い。
しかし、「パレード委員会」が設立されるまでは好きなようにパレードするのが常だったプロテスタントの側では、過激派(というか強硬派)が同委員会について「われわれの歴史と伝統を否定する存在」と目の敵にしている。IRAとシン・フェインを同一視する彼らにしてみれば、パレード委員会とは「IRAがわれわれの歴史と伝統をつぶすために作ったシステム」であり、断固として NO! な存在なのである。もちろん、こういう強硬派の人々は、1998年のグッドフライデー合意(GFA)をはなっから支持していない。2007年以降、自治政府でシン・フェインと権限分担しているDUPも、元々はGFAに強硬に反対していた。宗教的にも(キリスト教根本主義、急進的カルヴァン主義)、政治的にも(プロテスタントの優越)、DUPは本来ならシン・フェインとの権限分担などできるはずもない主義主張で、それが今のようなことになったのは運命のいたずらでなければ政治的計算の結果にすぎない。
前置きが長くなったが、この「パレード委員会」の設置という新たなシステム構築の直接的な契機となったのが、1995年以降の「ドラムクリー紛争」である。
http://en.wikipedia.org/wiki/Drumcree_conflict
http://cain.ulst.ac.uk/issues/parade/develop.htm
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