現在進行中の事件などに関しては、本家およびはてなブックマークをご参照ください。

2009年03月17日

【事件・人 質問8】 エニスキレン爆弾事件とは。

【事件・人 回答8】

2007年に投稿した本家のエントリを丸ごとコピペします。
http://nofrills.seesaa.net/article/65542069.html



1987年11月8日、日曜日。北アイルランドの西部、ファーマナ州最大の都市、エニスキレン。その日は英国の「戦没者追悼の日 (Remembrance Sunday: 第一次・第二次大戦の戦死者を追悼する)」で、エニスキレンでもほかの都市と同じように、街の戦没者慰霊碑のある広場で、追悼式典が執り行われようとしていた。エニスキレンは英陸軍の連隊が拠点としていた街で、その日、広場に集まっていたのは儀式のパレードを見るために出かけてきた一般市民で、その多くはプロテスタントの高齢者(戦中世代の人たち)だった。

午前10時45分、慰霊碑のすぐそばの建物が爆発した。建物の大きな壁が吹き飛び、一帯は瓦礫に覆われた。

爆弾を仕掛けたのはIRA (the Provisional IRA) だった。予告電話はなかった。

瓦礫の下に生き埋めになった人たちを、慰霊碑までパレードしてきていた軍人たちが救出するところが、追悼式典を取材にきた報道陣のカメラによって克明にとらえられている。
http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/november/8/newsid_2515000/2515113.stm
※Play Videoをクリックで映像が見られます。

BBCの当時の報道によると、ファーマナ州ではIRAの活動(「テロ」)が活発で、この日のパレードの経路は事前に丹念に調べられていた。しかし爆発した建物は調査されておらず、いつの間にか爆発物が仕掛けられていたのが気付かれなかったらしい。タイマーで爆発したこの爆発物は、その場で11人を殺し、60人以上を負傷させた。

【続きを読む】
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※誤訳・誤記・誤変換などのご指摘やエントリの内容についてのご質問などは、
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2009年03月16日

【事件・人 質問7】 ミルタウン墓地襲撃事件について。(マイケル・ストーン)

【事件・人 回答7】

今からちょうど21年前の1988年3月16日、ベルファストのカトリックの地域にある「ミルタウン墓地」で、3月6日にジブラルタルで射殺された3人のIRA「義勇兵」の葬儀が行なわれていました。「IRAの軍葬」という形でとりおこなわれた葬儀には、ジェリー・アダムズ、マーティン・マクギネスといったリパブリカンの指導者をはじめ、多くの人々が参列しており、「ジブラルタルで射殺されたIRAメンバーの葬儀」ということで、マスコミの取材のカメラも多く入っていました。

この葬儀を、ひとりのロイヤリストの「兵士」が襲撃しました。(この人物の自伝には「フリーランスだった」とありますが、元々UDA/UFFに所属していました。「兵士」というのは彼の自認です。)

少し冗長になりますが、過去に書いたものから。(2年以上前に書いたものなので、文中のリンクが切れていたらすみません。)

2006年11月02日 Michael Stone(マイケル・ストーン)
http://nofrills.seesaa.net/article/26613641.html
1988年3月16日、ジブラルタルで英軍特殊部隊に射殺されたIRAメンバー3人の葬儀が、ベルファストのミルタウン墓地で行なわれていた。多くの人たちが集まった葬儀にはジェリー・アダムズ、マーティン・マッギネスらシン・フェインの幹部も参列していた。棺が墓地に運ばれ、地面に置かれたそのとき、手榴弾が投げつけられ、墓地内に潜んでいたストーンのピストルの銃口からジェリー・アダムズらを狙って銃弾が放たれた。アダムズらは難を逃れたが、IRAメンバー1人と、カトリックの一般人(IRAメンバーではない)2人が、ストーンによって殺された。一連の出来事は葬儀を取材していたテレビカメラにとらえられていた。それで一躍名前が知れ渡った。ストーンはその場で葬儀参列者に取り押さえられ、ぼこぼこにされて車に押し込められたところを、警察に保護、というか逮捕された。(→ストーンの襲撃の瞬間の映像@音声付と、襲撃後の様子も含めた映像@音声は音楽)(※これら2つとも、プロパガンダ色の強いものです。前者はロイヤリストのプロパガンダ、後者はリパブリカンのプロパガンダ。)

そして1989年、裁判で有罪となり終身刑(懲役700年くらい)に服することになったが、「服役中の政治犯の釈放」を規定した1998年のグッドフライデー合意(GFA:ベルファスト合意)により、2000年に釈放された。
http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/
stories/july/24/newsid_2515000/2515041.stm


2009年3月の英軍基地襲撃と警官射殺という2つの事件のあとにタイムズがオンラインで掲載した北アイルランド紛争写真集(全11点)の4点目が、マイケル・ストーンが襲撃した直後のマーティン・マクギネスをとらえています(4人いる人物の一番左)。ひとりの負傷者と、彼を介助している人たちとマクギネス。背景には大勢の人の後姿。

ナショナリスト/リパブリカンの間では「ミルタウンの虐殺 Milltown Massacre」と呼ばれるこの襲撃で、上述の通り、3人が殺され、60人以上が負傷しました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Milltown_Massacre

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2009年03月15日

【事件・人 質問6】 ローズマリー・ネルソン爆殺事件について。

【事件・人 回答6】

今からちょうど10年前の1999年3月15日13時ごろ、アーマー州ラーガン (Lurgan) で、車に仕掛けられていた爆弾が爆発、車に乗っていた人が殺されました。

(これが、1998年のグッドフライデー合意の後であること、1998年8月のオマー爆弾事件と、その後のReal IRAの停戦の後であることにも留意してください。)

まずはラーガンの場所(すぐ西に、つい先日警官が射殺されたクレイガヴォンがあります):

View Larger Map

車に乗っていたのはローズマリー・ネルソン (Rosemary Nelson) という40歳の女性でした。彼女の自家用車に爆発物が仕掛けられていて、自宅を出て出かける途中で爆発したのです。爆発で両脚を吹き飛ばされていたネルソンは、搬送先の病院で亡くなりました。

ネルソンは、1989年に自宅で射殺されたパット・フィヌケンと同様に、ナショナリスト/リパブリカンが被告になった裁判で弁護士として活動していました。彼女のクライアントには、広く知られているリパブリカン(Provisional IRAのメンバー)が複数いました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Rosemary_Nelson

ネルソンを殺した爆弾についてはRed Hand Defenders (RHD) が犯行声明を出しました。当時は「謎のロイヤリスト組織」だったRHDは、後から判明したところによると、UDAとLVFの強硬派(和平に反対する立場のパラミリタリー)が使っていた組織名で、特にLVFは、ほぼ全員がRHDで活動していたようです。非常に大雑把に説明すれば、この組織は、リパブリカン側のReal IRAやContinuity IRAと同じように、政治プロセスが(ゆっくりとであれ)動き出してからも「戦争」を継続していたということになります。(でも、リパブリカン強硬派のReal IRAの名前を知っていた人も、ロイヤリスト強硬派のRHDについては聞いたこともなかったのではないかと思います。)

RHDについては詳細は項を改めたいと思いますが、少しだけメモしておくと、2002年にはカトリック学校の職員とカトリック教徒である郵便局員を「正当なターゲット」であると宣言しています。カトリックの家に爆弾(パイプボムなど)を投げ込んだりしています。また、ネルソン爆殺の1999年というとロイヤリストの内紛がひどくなりつつあった時期ですが、当時の報道を見ると、RHDはUVFと激しく敵対していたようです。

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2009年03月14日

【事件・人 質問5】 ジェリー・アダムズ暗殺未遂事件 (1984年3月14日) について。

【事件・人 回答5】

今からちょうど25年前の1984年3月14日、ベルファスト中心部で、一台の車が襲撃されました。

20発もの銃弾を浴びせられたその車に乗っていたのは、前年11月にシン・フェインの党首に選ばれていたジェリー・アダムズでした。


※上記キャプチャには、映画『父の祈りを』の「ギルフォード・フォー」と非常によく似た冤罪の事例である「バーミンガム・シックス」(1974年のIRAの爆弾事件の実行犯として有罪になった無実の6人)が晴れて自由の身になった、という1991年3月14日の記事も入っていますが、このエントリではアダムズの暗殺未遂のことだけを扱います。

BBC On This Day: 14 March
1984: Sinn Fein leader shot in street attack
Gunmen have shot and wo
http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/
stories/march/14/newsid_2543000/2543503.stm


アダムズは首、肩、腕に被弾しましたが、命に別状はなく、即座に搬送された病院で弾丸の摘出手術を受けて5日後には退院しています。

同じ車に乗っていた3人も負傷しましたが、誰も死亡はしませんでした。

車を襲撃したのは、ロイヤリスト組織UDAの攻撃専門部隊であるUFFでした。(銃撃実行犯は逮捕・起訴され、1985年に有罪判決を受けています。)

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2009年03月10日

【リパブリカンFAQ 質問12】 「真のIRA (Real IRA)」はIRAですか。

【リパブリカンFAQ 回答12】

主義主張、思想信条といった点では、「真のIRA」は "IRA" かもしれません。しかし組織としては、「真のIRA」は「IRA」ではありません。

北アイルランド紛争について「IRA」と言う場合、それが「思想信条」のことなのか「組織」のことなのかが微妙なことがよくあるのですが、アカデミックな分析や実際に暮らしている人たちの言語ではなく報道・ニュースの言語でいう「IRA」はほぼ例外なく組織のことですし、前提としては、「真のIRA」は「IRA」とは別の組織である、と認識してください。

いわゆる「IRA」はProvisional IRAのことです。「真のIRA」、つまりReal IRAは、Provisional IRAの分派です。この「分派」というのをもう少し詳しく言うと、Provisional IRAの方針に納得できないので、Provisional IRAを抜けて別な集団・組織を作った、ということです。具体的には、1997年から98年にかけて「和平プロセス」に賛成した人々はProvisional IRAに残り(数の上でも多数だった彼らが「リパブリカン主流」と言える存在です)、それに反対したメンバーがProvisional IRAを抜けて結成したのがReal IRAです。

「IRA」と「真のIRA」の違いとして最も重視されるべきことは、前者は現在は活動しておらず、後者は現在も活動している、ということです。(ここでは「現在」は2008年から2009年のことを言います。)

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2009年03月09日

2009年3月7日の軍基地での事件については、ここではなく本家をご覧ください。

2009年3月7日に発生したアントリムの軍基地での事件(英兵2人死亡、2人負傷、ピザ屋のデリバリー・スタッフ2人負傷)については、本家をご覧ください。

http://nofrills.seesaa.net/archives/20090308.html
http://nofrills.seesaa.net/archives/20090309.html

犯行声明は、Real IRAから出たようです。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7930995.stm
タグ:Real IRA
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2009年03月06日

【事件・人 質問4】 "Death on the Rock" とは。

【事件・人 回答4】

"Death on the Rock" とは、1988年4月28日に英国の民放、ITVで放映された番組のタイトルです。この "the Rock" とは、イベリア半島のジブラルタル(英領)のシンボル的な、見事な岩山のことです。

番組は、1988年3月6日にジブラルタルで起きたある事件についての調査報道です。事件発生から2ヶ月もしないうちに放映されたこの番組は、たいへんな物議をかもしました。

番組が引き起こした議論については、下記などをご参照ください。
http://en.wikipedia.org/wiki/Death_on_the_Rock
http://www.museum.tv/archives/etv/D/htmlD/deathonthe/deathonthe.htm

3月6日の事件について概略を、堀越智、『北アイルランド紛争の歴史』(論創社、1996年)から。

 翌八八年三月六日、ジブラルタルでIRA三人が射殺された。IRA容疑者がその場で射殺されることは以前にもあったことであり、IRA容疑者の冤罪もまたしばしば取り沙汰されて(後述のようにやがて冤罪が確定するケースがいくつもある)いたので、このニュースが流れると裁判抜きの処刑ではないかとカトリック住民の反英感情を高ぶらせた。遺体が北アイルランドに帰り、一六日にベルファストで行なわれた葬儀には一万人以上の市民が参列した。……


この事件、当初は「ジブラルタルでIRAとSASが銃撃戦になり、その結果、IRAメンバー3人が死亡した」と報じられたのですが、実際には「銃撃戦」は事実無根で、射殺されたIRAメンバーは3人とも武装していなかったということがすぐに判明しています。また、「IRAは今にも爆弾(カーボム)をリモコンで作動させようとしていた」という説明もありましたが、それも事実ではありませんでした。

しかしながら、殺されたIRAメンバー3人が、ジブラルタルでの作戦の任務を負っていたことは事実です。標的は現地での英軍の軍楽隊で、衛兵交替を狙っていたとのことです。

射殺されたのは、マレード・ファレル(31歳)、ダニー・マッカン(30歳)、ショーン・サヴェージ(23歳)。英軍の作戦名は、Operation Flaviusでした。
http://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Flavius

ファレルは1976年に爆弾事件で有罪となりアーマーの女性刑務所に投獄されましたが、パラミリタリーの囚人に対する「スペシャル・カテゴリー」が打ち切られた後の最初の女性囚で、アーマー女性刑務所でのブランケット・プロテストの最初のひとりでした。(アーマーでもロングケッシュと同様の抗議行動が行なわれていました。)1986年に釈放され、大学に通うもすぐにIRAの活動に専念、大学はドロップアウトしています。

※以下、日を改めて書き足します。たぶん。


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【音楽】ベルファストのバンド、And So I Watch You From Afarのアルバムが出ました。

aboutのところに書いたように、当方ではベルファストのバンド、And So I Watch You From Afar (ASIWYFA) の "The Voiceless"(「声なき者たち」) という曲を、勝手に「主題歌」にしています

そのAnd So I Watch You From Afarのアルバムが、たぶん日本先行で、3月4日にリリースされました。アルバムタイトルはバンド名と同じ(セルフ・タイトル)、"And So I Watch You From Afar" (「そして私は、彼方からあなたを見る」)です。価格は2,100円で、日本盤のレーベルはXTAL Recordsさん。(UK&欧州盤はデリーのSmalltown AmericaというDIYレーベルからのリリース。)予約しておいたのはもう届いてます。既に何度か聞きました、爆音で。

UK&欧州盤を待たずに日本盤を買いたい方は下記からどうぞ。

And So I Watch You From AfarAnd So I Watch You From Afar
アンド・ソー・アイ・ウォッチ・ユー・フロム・アファー

曲名リスト
1. Set Guitars To Kill
2. A Little Bit Of Solidarity Goes a Long Way
3. Clench Fists, Grit Teeth...GO!
4. I Capture Castles
5. Start A Band
6. Tip Of The Hat, Punch In The Face
7. If It Ain't Broke, Break It
8. TheseRIOTSareJUSTtheBEGINNING
9. Don't Waste Time Doing Things You Hate
10. The Voiceless
11. Eat The City, Eat It Whole

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


詳細は本家でどうぞ。
http://nofrills.seesaa.net/article/115216763.html

アルバムに収録されている曲のビデオ。夜のベルファストで撮影されています。

A Little Solidarity Goes A Long Way (Music Video)
http://ie.youtube.com/watch?v=7EOi91-Ge6c

※少し激しく画面がちかちかしますので、そういうので気分が悪くなる方はご注意ください。
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2009年03月04日

【質問29】 ロング・ケッシュってどういう感じだったんでしょうか。

【回答29】

「ロング・ケッシュ Long Kesh」は、「メイズ刑務所」の旧称にして通称です。英空軍の施設だった場所が、1970年代以降、パラミリタリー組織のメンバーを収容する施設として使われてきました。初期は軍施設時代のニッセンハット(かまぼこ型の建物)を利用していましたが、1970年代半ばにコンクリートの建物(形状から「Hブロック」と呼ばれる)が新たに作られ、そこでハンスト、大脱走、ビリー・ライトの射殺など数々の出来事が起こりました。刑務所としてはグッドフライデー合意後の2000年に閉鎖され、2006年に取り壊しが始まり、跡地の再開発計画が……その話は現状わけわかんないからやめときます。

「ロングケッシュ」の概略はウィキペディア英語版やBBCなどで。
http://en.wikipedia.org/wiki/Maze_(HM_Prison)
http://news.bbc.co.uk/hi/english/static/
in_depth/northern_ireland/2000/maze_prison/default.stm


写真はflickrにグループがあります。
http://www.flickr.com/groups/mazeprison/

取り壊し前の2005年9月に特別一般公開が行なわれ、内部が細かく撮影されています。ものすごく貴重な資料。
http://www.flickr.com/photos/stillburning/sets/1001973/
http://www.flickr.com/photos/a11sus/sets/998455/

以上が施設概略で、以下が本題です。といっても例によって本家からのコピペです。

1970年代前半、まだニッセンハットだったころにインターンメント(少しでも「疑わしい」と思われたカトリックの男性たちがほとんど見境なく当局に身柄拘束され、拘禁された上に拷問にもさらされた)でロング・ケッシュに入れられていたローナン・ベネットの文章です。

コピペ元:
2008年11月02日 "talking to a dead man" ――ロング・ケッシュを経験した人の映画Hungerのレビュー
http://nofrills.seesaa.net/article/108986493.html

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2009年03月03日

【リパブリカンFAQ 質問11】 1980年ハンストについて。

【リパブリカンFAQ 回答11】

1980年のハンストについては、参加者の名前で検索すれば、インタビューなどがけっこう出てくるのではないかと思います。参加者の名前は英語版ウィキペディアで確認できます。

「続きを読む」以下に、1980年ハンストで主導的な立場にいたブレンダン・ヒューズが亡くなったとき(2008年2月)の本家でのエントリを、訃報としての追悼の部分を削除して、コピペします。(長いけど。)それと、2008年12月にもうひとりの80年ハンガーストライカー、ショーン・マッケンナが亡くなったときのエントリも。

サンズの1981年ハンストは、ヒューズの1980年ハンストの延長線上にあるものです。81年のハンストが「10名死亡」というあまりに衝撃的な展開になり、後への影響も大きかったために、80年のハンストは見過ごされがちですが。

では、ここからコピペ。

【続きを読む】
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【リパブリカンFAQ 質問10】 1981年ハンスト参加者のインタビューなどはないのですか。

【リパブリカンFAQ 回答10】

ネットで閲覧できて情報量が多い1981年のハンスト参加者のインタビューとしては、ハンストから25年となる2006年3月にガーディアンが取材した記事があります。(他にもあるかもしれませんが、とりあえず。他に何かこれというのがあればこちらのコメント欄からお知らせいただけると嬉しいです。)

The legacy of the hunger strikes
Melanie McFadyean
The Guardian, Saturday 4 March 2006
http://www.guardian.co.uk/politics/2006/
mar/04/northernireland.northernireland


これは週末の別冊に掲載されたもので、誌面で確か4ページの超ロング・インタビュー記事です。読むのにかなり時間がかかりますが(そして精神的にも疲れる)、1981年ハンストという出来事に関心がある方、1970年代の北アイルランド紛争の実態を知りたいという方はぜひ。

インタビューを受けている人々について、記事を書いている記者は次のように説明しています。

There were 13 other prisoners who survived that hunger strike (two, Pat McGeown and Matt Devlin, have since died). Seven agreed to be interviewed: Laurence McKeown, Paddy Quinn, Pat Sheehan, Jackie McMullan, Brendan McLaughlin, Gerard Hodgins and Brian (not his real name - his workmates know nothing of his past and his job takes him to loyalist areas). They pass unnoticed in the street; they have slipped into ordinary lives.

ハンガーストライキを生き残った囚人は13人(そのうちの2人、Pat McGeownとMatt Devlinは現在までに亡くなっている)。今回取材に応じてくれたのは以下の7人である。Laurence McKeown, Paddy Quinn, Pat Sheehan, Jackie McMullan, Brendan McLaughlin, Gerard Hodgins, そしてBrian(本名ではない。彼の職場の人々は彼の過去について何も知らないし、仕事の都合で彼はロイヤリストの地域に行かなければならないため仮名を用いる)。街を歩いていても誰も彼らに気付くことはない。彼らは平凡な生活の中に入ってしまっている。


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2009年03月02日

【映画の紹介】 Hunger ――1981年のハンストを描いた映画

映画『Hunger』(→公式サイト……非常にきれいです)、2月23日にUKでDVDが出ました。Region 2ですがPALなので、日本では普通のDVDプレイヤーでは見られません。パソコンなら見られます。聴覚支援目的の字幕がついているかどうかは、ちょっと確認できていませんが、字幕がないとかなり厳しいかもしれません(ダイアローグが中心になるのは、92分の中の17分と、あとごく短いシーンだけですが)。
B001L7XND2Hunger [DVD] [2008]
Liam Cunningham Larry Cowan
Pathe Video 2009-02-23

by G-Tools


この映画については本家のエントリ(下記URLで記事一覧)をご参照ください。特に、2008年10月に東京国際映画祭で上映されたのを見たあとのエントリ(ただしネタバレ)。
http://nofrills.seesaa.net/tag/hunger

この映画についてのリンク集:
http://www.imdb.com/title/tt0986233/
http://en.wikipedia.org/wiki/Hunger_(2008_film)
http://en.wikipedia.org/wiki/Steve_McQueen_(artist)
http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Fassbender

トレイラー@YouTube(配給会社がアップしたもの):
http://www.youtube.com/watch?v=KUeXTA44ZFo


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【リパブリカンFAQ 質問9】 1981年のハンストでの要求について。

【リパブリカンFAQ 回答9】

【リパブリカン質問7】に書いたように、声明文で彼らは、自分たちにとって正当な「政治犯としての待遇 (political status) を受ける権利を要求する」と述べています。また、これまでも4年以上にわたるブランケット・プロテストやダーティ・プロテスト(ノー・ウォッシュ・プロテスト)でそれを要求してきたがそれが受け入れられないので、国際世論を動かして英国政府にプレッシャーを加えたい、という内容のことも同じ声明文で述べられています。(これらについて詳細は【リパブリカン質問7】をご参照ください。

ではその「政治犯としての待遇 (political status)」とはどのようなものか、という点については、1976年にSpecial Category Status (→詳細は【リパブリカン質問7】を参照) が廃止された後の一連の流れから見なければなりません。別な言い方をすると、Special Category Statusの廃止後、ロングケッシュの囚人たちは一貫して同じことを要求してきた、ということです。

英語版ウィキペディアから:
http://en.wikipedia.org/wiki/1981_Irish_hunger_strike
#Blanket_and_dirty_protests


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【リパブリカンFAQ 質問8】 1981年のハンスト参加者について。

【リパブリカンFAQ 回答8】

1981年ハンスト参加者については、英語版ウィキペディアThe Irish Hunger Strike Commemorative Web Projectなどで調べることができます。

参加者は合計で23名、所属組織はProvisional IRAが19名、INLA (the Irish National Liberation Army) が4名。死者は10名(PIRA7名、INLA3名)です。

この前のハンスト、1980年10月のときは、ハンスト参加者7人全員が一斉にハンストを開始しましたが、1981年ハンストのリーダーだったボビー・サンズはこのやり方では当局に十分なプレッシャーをかけられないと考え、また、今回は死ぬまで絶食することになると見込んで、ひとりまたひとりと時期をずらしてハンストに入るという方法をとりました。

こうして、3月1日から9月21日まで、23人が続々とハンスト入りしました。

5月5日にサンズが絶命したあとにハンスト入りしたのが19人、うち6人が死亡、7人が家族の介入などの事由でハンスト中止、6人が終了宣言(10月3日)でハンストを終了しました。

以下、1981年ハンストの死者について、ハンスト入りした順番に。

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2009年03月01日

【リパブリカンFAQ 質問7】 1981年のハンガーストライキの背景は。

【リパブリカンFAQ 回答7】

1981年3月1日、北アイルランドのメイズ刑務所(旧称ロングケッシュ)で、リパブリカンの囚人によるハンガーストライキが開始されました。

アイリッシュ・リパブリカニズムとハンストという手段にはずっと前からの歴史があり、その歴史について触れることなく1981年のハンストだけを取り上げることは実はあまりよいことではないと思うのですが、とりあえずは1981年のハンストについて、ごく基本的なことを、なるべく一次資料を参照しながら簡単にまとめておきます。

まず、1981年のハンスト開始時の声明文を参照します。

「1981年3月1日、第二次ハンガーストライキの開始に際しての声明文」
1 MARCH 1981 STATEMENT AT START OF SECOND HUNGER STRIKE
http://larkspirit.com/hungerstrikes/81statement_start.html
http://web.archive.org/web/20090113061146/http://larkspirit.com/hungerstrikes/81statement_start.html
【続きを読む】
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*参考書籍*

北アイルランド紛争についての英書

英語ではとても読みきれない(買いきれない、収納しきれない)ほどの本が出ていますが、筆者は特に下記の書籍を参照しています。
※画像にポインタを当てると簡単な解説が出ます。

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The IRA
Tim Pat Coogan
Loyalists
Peter Taylor
Killing Finucane
Justin O'Brien

北アイルランド紛争について、必読の日本語書籍
筆者はこのブログを書く前に、特にこれらの書籍で勉強させていただいています。

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IRA(アイルランド共和国軍)―アイルランドのナショナリズム
アイルランド問題とは何か
鈴木 良平

北アイルランド紛争の歴史
堀越 智

IRA―アイルランドのナショナリズム(第4版増補)
鈴木良平

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暴力と和解のあいだ
尹 慧瑛
→「北アイルランド」での検索結果
→「Northern Ireland」での検索結果
* photo: a remixed version of "You are now entering Free Derry",
a CC photo by Hossam el-Hamalawy
http://flickr.com/photos/elhamalawy/2996370538/


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