現在進行中の事件などに関しては、本家およびはてなブックマークをご参照ください。

2016年02月10日

ドックランズ爆弾事件(1996年2月9日)

本家ブログに、1996年2月9日のドックランズ爆弾事件(IRAの攻撃)について書きました。冒頭を抜粋します。

1996年2月9日は金曜日だった。当時、金融・商業の一大拠点として大規模な再開発が進められていたロンドン東部のドックランズ地区は、既に「閉鎖された港湾施設の跡地」、「寂れたウォーターフロント地域」ではなくなっていた。この一帯の港湾施設が現役だった時代に使われていた貨物鉄道の線路を利用して整備されたDLR(ドックランズ・ライト・レイルウェイ)が1987年に最初に開通したカナリー・ウォーフ(「ワーフ」は日本語で変な読みが定着したもの)地域は、1990年代初頭の英国経済の不況の時期には低迷していたオフィス需要の増加に沸いていた。つまり、IRAにとっては大きな「経済標的」になっていた。

午後5時半ごろ、ベルファストと、アイルランド共和国の首都ダブリンに電話が入った。「停戦(後述)の終了」を宣言し、カナリー・ウォーフに爆弾を設置したことを告知するIRAからの電話だった。すぐにロンドン警察に連絡が行った。カナリー・ウォーフのサウス・キー駅付近からは人々が退避させられた。

午後7時1分、サウス・キー駅付近に停められていたトラックが爆発した。トラックには500キロの肥料爆弾が積まれていた。再開発で新たに建築された「外壁はほぼ全面ガラス」みたいな建物のガラスが粉々に砕け、退避しきれなかった人々の上に降り注いだ。爆風・衝撃波で飛ばされた重いもの(コンクリート片、金属板など)が飛んだ。「ドックランズ爆弾事件」と呼ばれるIRAのボム攻撃だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/1996_Docklands_bombing
http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/february/10/newsid_2539000/2539265.stm


……全文は本家ブログで。




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2014年11月03日

「北アイルランド」での、10月の下旬という季節

2013年作成の「NAVERまとめ」のページ:

20年前の1993年10月、シャンキル・ロードからグレイスティールへ、暴力は連鎖した。
http://matome.naver.jp/odai/2138320196046648301


シャンキル・ロード爆弾事件(IRAによる暴力)で一般市民が殺され、それへの報復としてロイヤリストがグレイスティール(デリー近郊)のパブを襲撃した。ちょうど、ハロウィーンの時期で村人がパーティのために集っていた。

B009915B0ABelfast Taxi: A Drive Through History, One Fare at a Time
Lee Henry
Blackstaff Press 2012-09-06

by G-Tools


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「紛争の中を、ニュースに接しながら、生きた」ということ……ConflictNIというTwitterアカウント

北アイルランドに関し、「NAVERまとめ」を利用してつけている「記録」を、こちらにも転記していこうと思う。

「NAVERまとめ」での「北アイルランド」のカテゴリは、音楽や映画についての単発の「まとめ」はあるが、継続的にはほぼ私しか使っていない状態で、一覧は下記URLから。
http://matome.naver.jp/topic/1M1NG

以下、11月2日の「本家」とのクロスポスト。



【続きを読む】
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2014年06月29日

「ドラムクリー紛争」(1995〜)とは何か。「オレンジ・オーダー」とはどのような団体か。

毎年7月12日はプロテスタントの「対カトリック戦勝記念日」である。1690年、プロテスタントのオレンジ公ウィリアムが、「ボイン川の戦い the Battle of the Boyne」において、カトリックのジェイムズ2世を破ったことを記念するお祭りの日だ。むろん、カトリックの側は何もしない。プロテスタントが、鼓笛隊を引き連れて、勝ち誇って街を練り歩く日である。この日は北アイルランドでは、「ザ・トゥウェルフス the Twelfth」と呼ばれている。ただの「祭り」というより「宗教行事」の色彩が強い。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Twelfth

この記念日、前夜(11日)の街々での(時には近隣に危険を及ぼすほど)巨大なかがり火(ボンファイア)と12日当日のパレードは毎年夏の「風物詩」である……と書いて終わることができるような平和で楽しいものではない。「北アイルランド」の歴史は、「プロテスタントが勝ち誇る祭り」にカトリックがいい顔をするような歴史ではない。毎年この時期になると、「過去を記念すること」にものすごい熱意を傾ける人々の間からいろんな種類の煙が上がり、その多くは非常に政治化される。その政治化の度合いが、2000年代以降は北アイルランドの「ピース(平和、和平)」のあり方と連動している。

ベルファストでも、「フラッシュポイント」と呼ばれる地域(特に北ベルファストのアードイン地区)では、パレードをするプロテスタントの側と、「征服者」に勝ち誇られるカトリックの側の間で挑発・にらみ合いになり、時には「暴動 riot」と呼ばれる事態となって警察の放水車が大活躍する(このため、「毎年夏の水かけ祭り」のように見えることすらある)。が、1998年のグッドフライデー合意体制で設立された「パレード委員会 the Parades Commission」がパレードのルートや時間帯を決め、プロテスタントの団体がその範囲で行事を粛々と行なう限りは、「特に何事もなく平和裏に終了する」ことが多い。

しかし、「パレード委員会」が設立されるまでは好きなようにパレードするのが常だったプロテスタントの側では、過激派(というか強硬派)が同委員会について「われわれの歴史と伝統を否定する存在」と目の敵にしている。IRAとシン・フェインを同一視する彼らにしてみれば、パレード委員会とは「IRAがわれわれの歴史と伝統をつぶすために作ったシステム」であり、断固として NO! な存在なのである。もちろん、こういう強硬派の人々は、1998年のグッドフライデー合意(GFA)をはなっから支持していない。2007年以降、自治政府でシン・フェインと権限分担しているDUPも、元々はGFAに強硬に反対していた。宗教的にも(キリスト教根本主義、急進的カルヴァン主義)、政治的にも(プロテスタントの優越)、DUPは本来ならシン・フェインとの権限分担などできるはずもない主義主張で、それが今のようなことになったのは運命のいたずらでなければ政治的計算の結果にすぎない。

前置きが長くなったが、この「パレード委員会」の設置という新たなシステム構築の直接的な契機となったのが、1995年以降の「ドラムクリー紛争」である。
http://en.wikipedia.org/wiki/Drumcree_conflict
http://cain.ulst.ac.uk/issues/parade/develop.htm


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2014年06月10日

「IRAの闘争」は、「北アイルランドの独立闘争」ではありません。

※こっちのブログに書こうと思ったんだけど、FAQの形式にするのが面倒だったので、本家のブログに書きました。クロスポストは誉められたことではないので、リンクと抜粋だけ。

2014年06月10日 IRAの武装闘争について「北アイルランド独立闘争」だとするという虚偽がいまだにまかり通っているので、説明するよ。
http://nofrills.seesaa.net/article/399124648.html

彼らの闘争は、「北アイルランドの独立闘争」ではない。「北アイルランドという不正な存在を解消し、アイルランドを統一し、アイルランドの完全な独立を達成するための闘争」である。彼らの目的は、英語では一言で言い表せる。"United Ireland" だ(これが日本語では「統一アイルランド」で、字面がまさに「アルスター統一党」などユニオニストの側の理念をいう語と一致するので、ムダに混乱を招いている)。それは「北アイルランド」ではない。「北も南もない、ひとつのアイルランド」だ。


「北アイルランド独立」を主張したのはユニオニスト強硬派(プロテスタント)の側です。数としては少なすぎて、北アイルランドという小さなくくりで見てもさほど重要ではないくらいだったけれど(でもUKの極右の流れなので、その観点からは重要)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ulster_nationalism
http://en.wikipedia.org/wiki/Ulster_Third_Way
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2009年05月08日

【事件・人 質問9】ジェリー・アダムズについて、一言で教えてください。

【事件・人 回答8】

ジェリー・アダムズについて、一言で言うならば、アンサイクロペディアでさえも手出しできない男、ということになります。

uncyclo.png

※この投稿は「ネタ」です。本気で調べたい人は彼の名前で英語版ウィキペディアを見て、ソースも確認してください。で、ここだけの話ですが実は……うわ、何をするやめ……
タグ:ネタ
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2009年05月06日

【写真】ロイヤリストの拠点@1969年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" から:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

写真URL:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=202
キャプション:
Steel helmeted police at a burning barricade across Shankill Road, Belfast, littered with stones and debris after a spree of rioting. 1969
「シャンキル・ロード、炎上するバリケードと、鋼鉄製ヘルメットを着用した警官隊。暴動が発生し、道には石や何かの破片が散乱している。1969年」

【URLは2009年5月5日確認。特に告知なく変更される可能性があります。またURLが変わると写真が見つけられなくなるので、「何となくこういう写真」ということがわかる程度のサムネイル画像を下記に添付します。】

202_shank1969-150.jpg

写真に日付が添えられていないのでわかりませんが、英軍ではなく警官隊ということは、英軍投入前です。

【続きを読む】
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【写真】ロイヤリストの拠点を訪れた英国の政治家@1969年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" から:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

写真URL:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=203
キャプション:
Loyalists waving a Union Jack surround Home Secretary James Callaghan on the Shankill Road, Belfast. 28/8/1969.
「1969年8月28日、シャンキル・ロードを訪れた内務大臣、ジェームズ・キャラハンを、ユニオンジャックの旗を持ったロイヤリストが取り囲んで(歓迎して)いる」

【URLは2009年5月5日確認。特に告知なく変更される可能性があります。またURLが変わると写真が見つけられなくなるので、「何となくこういう写真」ということがわかる程度のサムネイル画像を下記に添付します。】

203_calla-150.jpg

キャラハンについては:
http://en.wikipedia.org/wiki/James_Callaghan

説明は不要かと思いますが、少しだけ。

ファミリーネームを見ればわかる通りアイルランド系英国人ですが、1969年の英軍投入を最終的に判断した内務大臣であり(上記の写真は、その英軍投入の直後のものです)、1970年代後半には首相として「北アイルランド(のテロリスト)」への「対策」を行なった労働党の政治家です。(「左翼である労働党は常にナショナリスト寄り」などというのは、ただのセット思考による無根拠な思い込みです。)

なお、1972年のNI自治政府停止と英国の直轄統治開始のときには政権は保守党だったので(テッド・ヒース首相)、労働党の政治家であるキャラハンは直接的な関係はありません。
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【写真】民間人の殺害、「暴力の連鎖」@1991年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" から:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

写真URL:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=205
キャプション:
Harry Ward was shot dead in The Diamond Jubilee Bar, Shankill Road, Belfast October 1991. Pictured is his sister Sadie, being led away from the scene.
「1991年10月、ベルファスト、シャンキル・ロードのダイアモンド・ジュビリー・バーで、ハリー・ウォードが撃ち殺された。写真は姉(妹)のセイディが現場から連れられていくところ」

【URLは2009年5月5日確認。特に告知なく変更される可能性があります。またURLが変わると写真が見つけられなくなるので、「何となくこういう写真」ということがわかる程度のサムネイル画像を下記に添付します。】

205_ward-150.jpg

Diamond Jubilee Barで検索すると下記が出てきます。
http://www.patfinucanecentre.org/pf/pf04052001a.html
What had happened that night was that IPLO shot dead a Shankill Road man in the Diamond Jubilee bar. A few hours later Johhny Adair's UFF team took revenge when they murdered a Catholic taxi driver in the Oldpark area.

【対訳】その晩起きたのは、IPLOがシャンキル・ロードの男性を、ダイアモンド・ジュビリー・バーで撃ったということだった。その数時間後、ジョニー・アデールのUFFのチームが、オールドパーク地区でカトリックのタクシー運転手を殺害し、報復をおこなった。

※このページ全体を読みたいところですが、今はとりあえずここだけ見て先に行きます。

【続きを読む】
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【写真】「紛争」の前、「強硬派」の当選@1960年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" から:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

写真URL:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=206
キャプション:
DESMOND BOAL IS HELD ALOFT BY JUBILANT UNIONIST SUPPORTERS AT THE BELFAST CITY HALL AS THE RESULT OF THE SHANKILL BY-ELECTION IS ANNOUNCED. 17/2/1960
「1960年2月17日。シャンキル選挙区での補選結果に喜ぶユニオニストの支持者に肩車されるデズモンド・ボール」

【URLは2009年5月5日確認。特に告知なく変更される可能性があります。またURLが変わると写真が見つけられなくなるので、「何となくこういう写真」ということがわかる程度のサムネイル画像を下記に添付します。】

206_desmondboal-150.jpg

1960年ですから「北アイルランド紛争」中の写真ではありません(「紛争」が始まる8〜9年前です)。

デズモンド・ボールはユニオニスト強硬派(「アイルランド共和国政府、および北アイルランドのカトリック系住民との関係改善」に反対)、立候補・当選のときはUUP所属でしたが、翌年に離党し、「ものすごい強硬派」のDUPの設立メンバーに入っています。当時のNI自治政府は、テレンス・オニール首相のもと、共和国との関係改善を模索していました(といってもこのときNIのユニオニスト独占政権によって共和国が「虐げられていた」わけではないし、オニールが「穏健派」だったというのはコンテクストを見る必要があることなので、この時代のことについて何か書くなどするときは、慎重に調べてからにしてください)。

いろいろあってその「関係改善路線」がつぶれたことは、「北アイルランド紛争」という文脈で非常に重要なことです。詳細はボールについてのウィキペディアの項と、そこにあるほかの人名などから:
http://en.wikipedia.org/wiki/Desmond_Boal
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2009年05月05日

「写真」のカテゴリの新設に伴っての事務的なお知らせ

この半年くらいずっと気がかりだった「写真で見る『北アイルランド紛争』」の記事の本館からの移植、およびアップデートを、連休中に行ないました。

これに伴い、変更点が2点あります。

1点はマイナーなことで、表示の変更です。これまで各カテゴリのトップページ(的なもの)は、日付の新しいものを一番上に表示させていたのを、日付の古いものが一番上に来るように変更しました。

もう1点は、もはや「FAQ」の体をなしていないものになった、ということです。これについては、第一の理由は、「FAQ」にしようと思うといつまで経っても更新できないからです。すみませんがしばらくはただ見ていてください。

あるいは、私が書いたものを元に、勝手に「FAQ」を作っていただいても構いません(リンクしてください。ブログならトラックバックでお知らせください)。なお、その場合、私の記述が参照している元のソースを必ずご確認ください(9割は英語です)。

また、このブログにある「英語版ウィキペディアの記述の日本語化」は、元の文書と同じく再配布・改変などフリーという形での公開です。形式的な手続として、誤訳だとか誤変換だとかいった点についての事務的なチェックをしてからご利用ください。

日本語化したものは、ウィキペディア日本語版に投稿することは私はしていませんが、ウィキペディアンの方がもしここを見ておられたら and 翻訳依頼が出されるなどしているものがあったら or 日本語版に英語版からの翻訳を掲載するおつもりであれば、どうぞご利用ください。(ただしウィキペディアで統一されている用語については、当方では特に意識もしていないしチェックもしていませんので、その点はご了解いただければと思います。)

以上、よろしくお願いします。

ベルファスト・テレグラフの写真があと200点ほど(!)あるので、取り急ぎ……。
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2009年05月04日

【写真】シャンキル・ブッチャーズ(写真複数)

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" から:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

写真URL:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=279
※なお、これの一つ前の写真 (ino=278)から前は、しばらくは、既に取り上げた写真が掲載されています。2009年5月4日現在。

キャプション:
William Moore aka Shankill Butcher gang member. Pacemaker Press
「シャンキル・ブッチャーズのひとり、ウィリアム・ムーア。写真はPacemaker Pressによる」

【URLは2009年5月3日確認。特に告知なく変更される可能性があります。またURLが変わると写真が見つけられなくなりますが、これに限ってはサムネイルは省略します。】

シャンキル・ブッチャーズ (Shankill Butchers) は、1970年代にベルファスト(のカトリック・コミュニティ)を震撼させた連続殺人鬼の集団です。やってることはただの快楽殺人なのですが(被害者を肉屋の鉤にぶら下げて生きたまま皮をはぐ、など)、シャンキル地域で育った彼らは、地域のオレンジ・オーダー関連の組織にもUVFにも属しており、「政治的暴力」という口実を得ていました。法廷で裁かれただけで19人(カトリックの一般市民)を拉致して殺しています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Shankill_Butchers

シャンキル・ブッチャーズの事件に関連した写真は、ベルテレのこの特集ページで、他にも上がっています。

【続きを読む】
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【写真】ホーリー・クロス小学校@2001年(写真複数)

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" から:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

写真URL:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=282
キャプション:
Holy Cross Primary School Protest In Belfast
「ホーリー・クロス小学校への抗議」

http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=281
キャプション:
Terrified school children after a blast bomb was launched by protesting loyalists. The blast bomb injured one policeman and a police dog, this is the third morning trouble has flared as catholic parents and their children through a protestant area to the Holy Cross Primary School in Ardoyne, North Belfast.
「ベルファスト北部、アードイン地区、ホーリー・クロス小学校へのロイヤリストの抗議行動3日目の朝、ブラスト・ボムが投げられ、怖がって泣く学童。このブラスト・ボムで警官と警察犬が負傷した。カトリックの学童と親は、プロテスタントの居住地域を通って通学しなければならない」

【URLは2009年5月3日確認。特に告知なく変更される可能性があります。またURLが変わると写真が見つけられなくなるので、「何となくこういう写真」ということがわかる程度のサムネイル画像を下記に添付します。】

282_holyc-200.jpg 281_holyc-boy-150.jpg

ホーリー・クロス小学校に対するロイヤリストの嫌がらせは、本当に常軌を逸していたと思います。コワモテの男たちが通学路にずらっと並んで、罵声を浴びせ、ものを投げ、警官が大勢並ぶ中を、親に連れられた小学生が通学せざるを得ない状況だったのですから。

詳細は:
http://en.wikipedia.org/wiki/Holy_Cross_dispute
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【写真】ドラムクリー/ポータダウンのオレンジマーチ@1995年か(写真複数)

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" から:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

写真URL:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=285
キャプション:
STAND-OFF BETWEEN PSNI AND ORANGEMEN.
「PSNI(北アイルランド警察)とオレンジマンたちの対峙」

http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=284
キャプション:
Orange Order: Drumcree, Portadown
「ポータダウン、ドラムクリーのオレンジ・オーダー(の行進)」

http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=283
キャプション:
Drumcree, Northern Ireland. A makeshift road block on main road into Portadown town centre
「ドラムクリー。ポータダウンの町の中心部への幹線道路が臨時で封鎖されている」

【URLは2009年5月3日確認。特に告知なく変更される可能性があります。またURLが変わると写真が見つけられなくなるので、「何となくこういう写真」ということがわかる程度のサムネイル画像を下記に添付します。】

285_orange-200.jpg

284_oo-200.jpg

283_road-200.jpg

これら3点は、ベルテレの段階で年号の表記がないのですが、【写真】2点目、ドラムクリー@たぶん1995年と同じときのものだと思います。
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【写真】巻き添えで殺された人の生前の笑顔@1973年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" から:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

写真URL:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=286
【URLは2009年5月3日確認。特に告知なく変更される可能性があります。またURLが変わると写真が見つけられなくなるので、「何となくこういう写真」ということがわかる程度のサムネイル画像を下記に添付します。】

キャプション:
Kathleen Feeney, 14, who was shot dead by an IRA gunman in Londonderry in a failed ambush on British troops. November 1973

「1973年11月、(ロンドン)デリーで英軍を急襲しようとしたIRAのガンマンに誤って撃ち殺されたキャスリーン・フィーニー(14歳)」

286_kathl-150.jpg

この女性の葬儀の様子も、同じ写真特集のずいぶん離れた場所にあります。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=81

キャプション:
Funeral courtege of Kathleen Feeney, 14, who was shot dead by an IRA gunman in Londonderry in a failed ambush on British troops. November 1973
「1973年11月、キャスリーン・フィーニー(14歳)の葬列」

081_funeralkthlf-150.jpg
タグ:写真 資料
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【写真】「紛争」の始まり――警察、デリー@1968年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" から:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

写真URL:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=288
【URLは2009年5月3日確認。特に告知なく変更される可能性があります。またURLが変わると写真が見つけられなくなるので、「何となくこういう写真」ということがわかる程度のサムネイル画像を下記に添付します。】

キャプション:
Banned Derry Civil Rights march broken up by RUC batons in presence of Gerry Fitt MP, three British Labour MPs and television crew. Two nights of rioting ensued. 5/10/1968.

「1968年10月5日。デリーでの禁止された公民権運動の行進が、ジェリー・フィット議員と3人の英労働党議員、テレビの取材陣の目の前で、アルスター警察の警棒によって散らされる」

288_civ_der-200.jpg

1つ前のエントリの「ピープルズ・デモクラシー (PD)」は、この写真に記録されているデリーでの「暴動鎮圧」(と警察が位置付けていたもの)に反応して、ベルファストで始まった学生の運動です。

ジェリー・フィットについては、2005年に亡くなったときにブログに書きましたので、それをご参照ください。
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【写真】「紛争」の始まり――PDの行進への待ち伏せ襲撃@1968年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" から:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

写真URL:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=289
【URLは2009年5月3日確認。特に告知なく変更される可能性があります。またURLが変わると写真が見つけられなくなるので、「何となくこういう写真」ということがわかる程度のサムネイル画像を下記に添付します。】

キャプション:
People's Democracy group organised a four-day march from Belfast to Londonderry, starting on 1/1/69. The most serious incident was near Burntollet Bridge in County Londonderry, when marchers were ambushed by some 200 loyalists.

「『ピープルズ・デモクラシー』は、1969年1月1日から、ベルファストから(ロンドン)デリーへと向かう4日間の行進を組織した。このときに発生した最も重大な事態は、ロンドンデリー州のバーントレット橋近くでのこと。行進参加者が200人ほどのロイヤリストに襲撃された」

289_civ-200.jpg

バーントレット橋での待ち伏せ襲撃については、「北アイルランド紛争はいつ、どのようにして始まったか」を説明した文章には必ず出てきます。ベルファスト・テレグラフの写真では、単ににらみ合っているだけのようにも見えますが、丸腰の行進参加者を待ち伏せていた200人のロイヤリストは組織化されており、金属棒などを持って行進の参加者を襲いました。また、このロイヤリストの集団の中には、当日非番だった警官も含まれていました。写真には制服を着た警官が人々の中にいるのが確認できますが、襲撃の際、警官は何もしないという形で襲撃に加担したそうです。

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【写真】「ミルタウン墓地襲撃」の数日後@1988年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" から:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

写真URL:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=287
【URLは2009年5月3日確認。特に告知なく変更される可能性があります。またURLが変わると写真が見つけられなくなるので、「何となくこういう写真」ということがわかる程度のサムネイル画像を下記に添付します。】

キャプション:
In March 1988 two corporals, Derek Wood and David Howes, were stripped, beaten and shot dead, after driving into the path of a republican funeral in Belfast.

「1988年3月、ベルファストでのリパブリカンの葬儀が行なわれていた地域に入ってしまった英陸軍デレク・ウッド伍長とデイヴィッド・ハウズ伍長が、服を脱がされ殴られて射殺された」

287_corp-150.jpg

この写真のコンテクストは、「ミルタウン墓地襲撃事件について」のエントリを参照。以下に該当部分を抜粋し掲示します。

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2009年05月03日

【写真】Abecorn Restaurant爆弾テロ@1972年(写真複数)

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures":
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=291
【URLは2009年5月2日確認。特に告知なく変更される可能性があります】

キャプション:
The explosion of a bomb in the crowded central Belfast restaurant, the Abercorn, on 4th March 1972, was one of the most horrific incidents of the Northern Ireland violence. Two women were killed - 130 people injured.

「1972年3月4日。ベルファスト中心部にあるレストラン、Abercornで爆弾が爆発、レストランは混雑しており、女性2人が死亡し、負傷者は130人になった。北アイルランド紛争でも最悪の事件のひとつ」

291_abercorn-200.jpg

以下、まだ数点写真があります。

【続きを読む】
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【写真】ジョン・ヒューム@1971年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures":
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=292
【URLは2009年5月2日確認。特に告知なく変更される可能性があります】

キャプション:
John Hume is detained by soldiers during a civil rights protest in Londonderry in August 1971.

「1971年8月、デリーにて、公民権を求める抗議行動中に兵士に拘束されるジョン・ヒューム」

292_john-hume-200.jpg

後にノーベル平和賞をうけることになるジョン・ヒュームはデリーの公民権運動のリーダーです。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Hume

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【写真】賭け屋銃撃@1993年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures":
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=293
【URLは2009年5月2日確認。特に告知なく変更される可能性があります】

キャプション:
The scene outside Graham's bookmakers shop, North Queen Street after a shooting where five men were injured. 29/04/1993

「1993年4月29日。ノース・クイーン・ストリートの賭け屋グレイアムズの様子。銃撃事件があり、5人が負傷した」。写真の看板にはBrian Graham Bookmakerとあります。

293_nth-queen-st-200.jpg

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【写真】暗殺未遂事件後のアダムズ@1984年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures":
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=294
【URLは2009年5月2日確認。特に告知なく変更される可能性があります】

キャプション:
Sinn Fein leader Gerry Adams pictured canvassing with Martin McGuinness, Alex Maskey and Danny Morrison shortly after he was shot and injured in a UDA gun attack in Belfast city centre.

「遊説中のシン・フェイン党首、ジェリー・アダムズとマーティン・マクギネス、アレックス・マスキー、ダニー・モリソン。アダムズはこの少し前に、ベルファスト中心部でUDAによって銃撃されている」

294_sinn-fein-200.jpg

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【写真】北アイルランド紛争、最初の警官の死者

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures":
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=295
【URLは2009年5月2日確認。特に告知なく変更される可能性があります】

キャプション:
RUC constable Victor Arbuckle who was shot during street disturbances on the Shankill Road Belfast. He was the first RUC man killed in the troubles. October 1969

「ベルファストのシャンキル・ロードでの騒ぎで撃ち殺されたRUCの警官、ヴィクター・アーバックル。北アイルランド紛争で殺された警官は彼が最初。1969年10月」

295_victor-200.jpg

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【写真】シャンキル・ロード

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures":
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=296
【URLは2009年5月2日確認。特に告知なく変更される可能性があります】

キャプション:
UDA members being carried in a Land Rover along the Shankill Road. 22/05/72.

「1972年5月22日、シャンキル・ロードでランドローバーに乗せられて進むUDAのメンバー」

296_uda-200.jpg

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【写真】ノース・ストリート・アーケードでの爆発@1976年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures":
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=297

キャプション:
North Street Arcade. A bomb exploded prematurely, killing four people and injuring twenty. 13th January 1976.

【URLは2009年5月2日確認。特に告知なく変更される可能性があります】

「1976年1月13日、ノース・ストリート・アーケードで、爆発物が予告されていたよりも早く爆発し、4人が死亡、20人が負傷」。

297_north-st-arcade-200.jpg

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【写真】ローズ・カリーの葬儀@1971年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures":
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

ここからしばらく、これまで本館で言及していない写真について。

キャプション:
THE IRA FUNERAL ON THE FALLS ROAD OF ROSE CURRY, KILLED IN A PREMATURE BOMB EXPLOSION AT MERRION STREET, LOWER FALLS BELFAST
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=298
【URLは2009年5月2日確認。特に告知なく変更される可能性があります】

「ロウアー・フォールズのメリオン・ストリートで、爆弾が予定より早く爆発したがめに死亡したローズ・カリーのIRA葬儀」(注:この「IRA」という表記は微妙です。なぜなら彼女はOfficial IRAだから)

またURLが変わると見つけられなくなるので、サムネイルで「何となくこういう写真」ということがわかる程度の画像を添付します。

298_rose-200.jpg

ローズ・カリーについて詳細は「続きを読む」で。

【続きを読む】
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2009年05月02日

【写真】2組目40点目、UVF@1972年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" を見ていきます。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

見出しに「2組目」と書いてあるエントリでは、本館での2番目の紹介記事で言及したものを扱っています。

なお、以下に貼り付けるURLは既に変更になっています(写真が差し替わっています)。このため、参照すべき写真をサムネイルのサイズにし、どういう写真なのかがわかる程度にした状態で添付しますので、それを参考に上記URLから探してください。




39-u-200.jpg

今回追加された分の最後、40点目は、UVFです。「1972年7月4日、Ainsworth Avenueをバリケードで封鎖するUVF」。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=40

覆面をして、おそらく武装した若い男が2人、ドラム缶と有刺鉄線で作ったバリケードを守っています。背後の壁には、"Sacrifice the blue skies of freedom for the grey mists of an Irish Republic", つまり「自由という青い空を、アイルランド共和国という暗い霧のために犠牲にする」というフレーズが読めます。写真におさまらなかったところに、たぶん、NeverとかWe shall notとかが書かれていると思います。そしてそのフレーズの下に、ひときわ大きな文字で、GOD SAVE THE QUEEN U.V.F. RULE (女王ばんざい、UVFが支配する)と書かれています。

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※誤訳・誤記・誤変換などのご指摘やエントリの内容についてのご質問などは、
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【写真】2組目39点目、UVFの爆弾@1994年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" を見ていきます。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

見出しに「2組目」と書いてあるエントリでは、本館での2番目の紹介記事で言及したものを扱っています。

なお、以下に貼り付けるURLは既に変更になっています(写真が差し替わっています)。このため、参照すべき写真をサムネイルのサイズにし、どういう写真なのかがわかる程度にした状態で添付しますので、それを参考に上記URLから探してください。




38-bom-200.jpg

39点目は急に時代が新しくなります。1994年5月23日、ベルファストのシティホールが爆弾でやられたときの救出活動。英軍と警官と……という写真。
http://cain.ulst.ac.uk/othelem/chron/ch94.htm#May

「爆弾だ、IRAだ」というのはあまりに短絡的なのですが、実際にこの爆弾はIRAではありません。UVFです。(ここでようやく、UVFがこの写真特集に出てきました。)

http://cain.ulst.ac.uk/othelem/chron/ch94.htm#May
Monday 23 May 1994
The Ulster Volunteer Force (UVF) carried out a bomb attack on the Sinn Féin (SF) office in Belfast City Hall. The explosion injured two workmen.


この後も、各派が入り乱れてだらだらと流血は続きましたが、この年の8月31日、IRAが軍事作戦を停止します。28日にシン・フェインのアダムズと、SDLPのジョン・ヒュームの会談で共同宣言が出され、そこで「武装闘争ではなく民主的政治で、アイルランドに恒久平和をもたらす」と明記されました。

そしてUDA、UVFも同年10月に停戦、しばらくは「平和」が続きましたが、当時のメイジャー政権下では交渉が難航し、1996年2月9日、PIRAはロンドンのドックランズをボムります。そしてPIRAは再びイングランドをも「戦場」とし、UVFはダブリンに遠征するなどの元の木阿弥となり、英国の総選挙で労働党が圧勝した2ヵ月半ほど後の1997年7月20日、PIRAは改めて停戦を宣言します。そして、PIRAの「政治的暴力」は止まりました。翌年のグッドフライデー合意に反対するメンバーが分派してReal IRAになったり、ずっと前の分派であるINLAやContinuity IRAの存在はありますが、いわゆる「IRA」ことProvisional IRAはそのまま、2005年の武装解除まで(紆余曲折ありながら)こぎつけました。
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【写真】2組目38点目、ベルファストの街と英兵@1969年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" を見ていきます。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

見出しに「2組目」と書いてあるエントリでは、本館での2番目の紹介記事で言及したものを扱っています。

なお、以下に貼り付けるURLは既に変更になっています(写真が差し替わっています)。このため、参照すべき写真をサムネイルのサイズにし、どういう写真なのかがわかる程度にした状態で添付しますので、それを参考に上記URLから探してください。




37-patro-200.jpg

「1969年、ベルファストでパトロールをする英兵」というキャプションですが、メインの被写体はwriting on the wallです。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=38

2人の若者(17歳くらい?)が銃を持った英兵の前に立って、ふつうに話しているような様子。このときはまだ「住民対軍」の戦いは始まっていなかったのでしょう。でも壁には、でかでかと、UNITE AND FIG[HT] REBELLION と殴り書きされています。「団結し、戦おう。反乱だ」と。

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【写真】2組目37点目、家を追われた家族@1969年

ベルファスト・テレグラフの写真特集、"A Conflict in Pictures" を見ていきます。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

見出しに「2組目」と書いてあるエントリでは、本館での2番目の紹介記事で言及したものを扱っています。

なお、以下に貼り付けるURLは既に変更になっています(写真が差し替わっています)。このため、参照すべき写真をサムネイルのサイズにし、どういう写真なのかがわかる程度にした状態で添付しますので、それを参考に上記URLから探してください。




36-familym-200.jpg

37点目は軽トラ様の車に家財道具を乗せ、家族も乗せて引っ越していく一家。キャプションは「1969年、ベルファスト」。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece?ino=37

住宅街が、住宅街の体をなしていません。どうしてこうなっているのかは私にはわからない。

状況についての解説は、35点目をご参照ください。
http://nofrills-nifaq.seesaa.net/article/118588617.html
タグ:写真 資料 1969
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